2018.04.16 update

【ファッション賢人の数珠つなぎコラム|第1回】服飾評論家・遠山周平

ファッションやライフスタイルに一家言ある紳士の聖地、伊勢丹新宿店メンズ館。ここに、きょうもひとり、ファッション賢人がやってくる。「紳士の名品」は、いかにして継承され、輝き続けてきたのだろうか。それは、想いを伝承し、守り続けてきたからではないだろうか。賢人たちの言葉は、新たなファッションを未来をつくるヒントとなるはずだ。さぁ耳を傾けよう、賢人たちの声に。


微細なディテールの進化が ライセンス・スーツを向上させる偉大な一歩に繋がる。


2018年春夏シーズン、伊勢丹新宿店メンズ館で筆者は著しく進化を遂げていた、あるスーツに目がとまった。それは数年前に日本の大手アパレルがライセンス契約した<ルビナッチ>というブランド。ただし筆者が目をとめたのは、伊勢丹新宿店メンズ館4階=インターナショナル ラグジュアリーだけでこの春夏から販売を開始する、ハンドメイドのスタイル・オーダースーツ<RUBINACCI/ルビナッチ>のものである。

この衿まわりの仕様を見て、筆者はなんともいえない感動とともに、かって足繁くイタリアに通い、ナポリの名店ロンドハウスのオーナーであったマリアーノ・ルビナッチさんと交流した、数々の記憶が脳裏に蘇ってきたのである。

筆者がサルトリア・イタリアーナ研究のために取材旅行を始めたのは1990年代初頭だった。当時のオーダー業界の状況は世界中どこも同じ。既製服に押され、ビスポークテーラーは経営に四苦八苦していた。そんな流れのなかで、名人といわれるテーラーは亡くなったり、廃業したり。また引退しても、それを次ぐ若手テーラーはいないという有り様。つまりは、オーダーメイドは過去の遺物。注文でスーツを誂えるなんて、よほどの変人、と思われていた時代だったのである。

博打で言えば逆張りという感じで、筆者はミラノ、ボローニャ、ローマ、ナポリと巡り、身銭を切ってマエストロや老舗の仕立て屋、ついでに当時売り出し中だった新進テーラーたちに服を注文したのである。 旅を続けていると、面白いことにいくつかのテーラーで同じことを聞かれた。

「お前は日本からわざわざ来たのか、ならばタンゲ、モトヤマは知っているかい?」

タンゲとは、建築家の丹下健三氏。モトヤマとは銀座サンモトの会長にして昨年末にお亡くなりになられた元祖世界の一流品男、茂登山長市郎氏のことである。彼らは商談などでイタリアを訪れるたびに、お好みのテーラーを探しては服を誂えていたのであろう。先人は粋だったねぇ!


2016年に開催したオーダー採寸会で来店した際のマリアーノ・ルビナッチ氏
関連記事:【インタビュー】マリアーノ・ルビナッチ | イタリア服飾文化の種子

ロンドンハウスで初めてスーツをオーダーしたときは、今もはっきり覚えている。物腰の柔らかい上品な紳士が接客に現れ、それが当主のマリアーノ・ルビナッチさん。筆者がスーツを誂えに来たことを伝えると、すぐに採寸のために初老のフィッターを呼んでくれた。それがアットリーニ家の次男、トゥーリオ・アットリーニ氏であった。

その後、メンズ・コレクション詣でを兼ねてマリアーノさんとの交流が始まる。ナポリでは生地倉庫に眠っていたシルク・ツイードでバックベルト付きのカントリー風ジャケットを仕立てていただいた。ミラノにロンドンハウスが店をオープンしたときは、新たなフィッターを紹介されて、ヴィンテージ・メルトンのコートなどを注文した。

ピッティ会場では、会うたびに、「君に似合いそうな生地を持ってきているから後で会おう」と、マリアーノさんが常宿にしているフィレンツェの高級ホテルのスウィートルームで生地を選ばせてもらったり、ときに仮縫い中の服のフィッティングまでしていただいたのである。

断っておくが、マリアーノ・ルビナッチさんは、中東の王族たちがわざわざ専用のチャーター便を手配して彼を呼びよせるほどの、イタリアテーラー界の重鎮である。そんな大物が、なぜ極東に住むフリーの使い捨てライターをこれほど厚遇してくれたのだろうか。それは今にして想像できるのだが、マリアーノさんと筆者には、『このままでは衰退してしまうテーラーの文化を何とか復活させたい』という共通認識があったからなのかもしれない。


ご存じのように、サルトリア・ナポレターナという独特のスタイルは、マリアーノ・ルビナッチさんの父親ジェンナーロ・ルビナッチ氏とテーラーのヴィンチェンツォ・アットリーニ氏の合作によって生まれたもの。言い添えておけば、現在世界最高峰の既製スーツとして君臨する<アットリーニ>は、ヴィンチェンツォ・アットリーニの三男にして名モデリストのチェザレ・アットリーニが起こしたのである。

いっぽうナポリのロンドンハウスは、ナポリの全テーラーの憧れといって過言でない店だ。テーラーだけでなく、その下で働く見習い職人、さらにはオーダーシャツの職人やジャケットのボタンホールを専用にかがるオバチャンに至るまで、彼らの精神的な支柱というべき存在がロンドンハウスなのである。しかもこれは大袈裟な表現でなく、ナポリ職人たちの未来の期待と希望が、マリアーノ・ルビナッチさんの双肩にかかっているわけである。

いつだったか、普段はジェントルマンだったマリアーノさんが、商談の席で冷徹なビジネスマンに豹変するのを目撃して、驚いたことがある。しかしこれは致し方ないこと。彼にとってロンドンハウスというブランドを守ることは、ナポリテーラーの未来を維持することにも繋がるからである。

しかしこのとてつもないプレッシャーが、裏目に出ることがあった。それはかなり昔、日本の某ファクトリーとライセンス契約を結び、<ロンドンハウス>の名でナポリ風スーツを製造することになった頃のことである。長年イタリアのモデリストの指導を受けたというこの工場との契約は、当初順調に進むと思われた。しかし不幸なことに、そのイタリアのモデリストは、鎌衿が得意な技術者だったのである。ご存じのようにナポリ仕立ては、一枚の布から作られた棒衿を入念なアイロンワークで立体的に据えるもの。同じイタリアでも、鎌衿と棒衿は技術的にも見た目もかなり異なるのである。


筆者とマリアーノさんとの間に距離が出始めたのは、ちょうどその頃からであった。しかしながら、若き日のアントニオ・パニコやアンナ・マトッツォをロンドンハウスで育て、さらには駆け出しの頃のルイジ・ボレッリにオーダーシャツ作りの基本を教えたほどの実力者であるマリアーノさんが、鎌衿と棒衿の違いに気づかないはずはないのである。

おそらく彼は、じっくり時間をかけて、その服作りの違いを改良させるつもりだったのではないか。しかしながらそのライセンス・ブランドは道半ばにして消滅してしまった。

そして今日、新たに<ルビナッチ>として生まれ変わったブランドのプレステージラインに、縫い上がった身頃の衿ぐりにかぶせるようにして後から棒衿を据え、ゴージラインをハシゴ掛けにして上衿と下衿に段差を生じさせない、待望のハンドメイドのスタイルオーダースーツが登場したのである。


この伊勢丹新宿店メンズ館の小さな挑戦は、ハンドとマシンメイドのオーダースーツの品質の違いについて気づかない人には、微細なものとして映るかもしれない。しかし、オーダースーツはただトレンドに合致して、身体にフィットしていれば良いというものでもない。それは優れた工芸品のように、修理を加えながら生涯付き合うことが可能な服なのである。このように考える人々にとって、微細な衿の仕様の進化は、じつに大きな一歩に思えてくるはずである。

伊勢丹新宿店メンズ館における、この真摯なモノ作りの姿勢が、ひいてはライセンスーツの品質の底上げに繋がることを、筆者は期待する者である。


*価格はすべて、税込です


Text:Shuhei Toyama
Photo:Tatsuya Ozawa,Natsuko Okada

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