2018.12.14 update

INTERVIEW to Shoeshiner Vol.2 石見豪|関西のシューシャイナーの雄



「THE WAY THINGS GO」を主宰する靴磨き職人、石見豪氏。


「磨き屋はけぇれっ」

大阪は天王寺。戦後から営む路上靴磨き職人がいると知って早速その門を叩いた石見は、こぶしを扉にコツンとぶつけるやいなや職人世界の洗礼を受けた。


「噂には聞いていたけれど、この業界はみて盗むものなんですね。それからは身分を明かすことはなくなりました。プロの仕事ぶりを目に焼きつけたら、今度は家に帰って実践です。友人の靴も借りて練習に練習を重ねました。数十足はダメにしたんじゃないでしょうか。見よう見まねでもコツはつかめてくるものです。会社を辞める半年前からはじめておよそ9ヵ月。日本全国名の通った職人にはだいたい磨いてもらいました。3度目の上京でそれなりの水準に達したことを確信、2012年、路上靴磨きを旗揚げしました」

知人の助言もあり、石見はほどなくカスタマーのもとに訪れて靴を磨く出張スタイルを採る。このスタイルで大いに役立ったのが、10年に及ぶサラリーマン時代で培った人脈だった。そこからは客が客を呼び、開業3年で2万足を磨いた。1日に均せば27足、という計算だ。

©THE WAY THINGS GO OSAKA


そして2015年、念願の店をオープンする。登録有形文化財に指定された大正末期のビル、船場ビルディングの415号室。スーツを着た石見がカウンター越しに靴を磨く姿はこぞってマスコミに取り上げられた。

オリジナルブラシと東京進出


シューシャインの勢力地図は、いまや東の長谷川(=長谷川裕也。ブリフトアッシュ代表)、西の石見といって過言ではない。余勢を駆るように、石見はあたためてきたアイデアを一気呵成に具現している。

©THE WAY THINGS GO OSAKA


ひとつが、オンラインストアにアップすれば数日で売り切れるという、オリジナルブラシ。

「手植えブラシの総本山ともいうべき関西の工房につくってもらっています。一つひとつ手で植えた毛は毛切れも脱毛も無縁です。ぼくなりのこだわりは弓なりに仕上げた台座。弓なりにすることで毛が半円状に広がるんですが、このシルエットがブラシの潜在能力を余すことなく引き出してくれるんです。それと、サイズ感。大きな手でも小さな手でもぴたりとフィットするボディのバランスを導き出しました」


もうひとつが、念願の東京進出。オープンは年明け早々の1月7日(月)に決まった。

看板を掲げて6年目を迎えるいまでは何足磨いても一定の仕上がりがキープできるようになったと語る石見だが、靴磨きへの情熱も衰えない。

「一人ひとり違うお客さんがいて、履かれている靴も一足一足違う。そもそも探求の旅には終わりがない。職人の仕事はそういうものでしょう」

これまでに4回、磨き方を変えてきた石見最大の魅力はその持続力だろう。試行錯誤してたどり着いた、きわめてユニークなスタイルのなせる技だが、1年ノーケアだった靴が乾拭きで光沢を取り戻したときはさすがの石見も驚いた。



音楽の道をあきらめて

 
石見が高校生の時、家業の倒産により、それまでの平凡な生活が一変した。石見は卒業後、夢だった音楽の道をあきらめ、社会に出た。家族が元の生活を取り戻すのに10年かかった。

「リクルートの営業職などに就き、それこそ馬車馬のように働きました。返済が終わったぼくは、いわゆる燃え尽き症候群になりました。リクルート時代の上司に誘われ、かれが立ち上げた会社に創業メンバーとして参画したのですが、心ここにあらずでした」

これ以上は迷惑をかける。そう考えた石見は元上司に別れを告げ、あらたな道を模索、そうして靴磨きに出会う。


「ブリフトアッシュの長谷川さんが彗星の如く登場した時期で、ちょうど地元大阪にも靴磨き専門店がオープンしたんです。どんなものかと訪れ、サービスを受けた。不遜ですが、これならぼくは関西で頂点を目指せると思いました。」

石見に靴磨きを選ばせた理由はもうひとつあった。

「サラリーマン時代は目の肥えたお客さんと多く接する機会がありました。少しでもかれらに近づきたくて100万円を超えるカルティエの時計を買ったことも。そうして良いものはメインテナンスが大切なことに気づきました」

ギターを抱いて寝た日々

 
音楽で飯を食う夢は、なかば手中に収めていた。驚くことに、高校生のころにはすでに全国ツアーをするバンドに楽曲を提供するほどの実力があったという。一生の仕事にするなら本格的に学びたいとニューヨークへの留学を計画していた矢先、家業が倒産した。

「子どもの頃からの週末の楽しみがTSUTAYAで借りる映画でした。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公のマーティがチャック・ベリーの『ジョニー・ビー・グッド』を弾いているのをみて、いっぺんで虜になりました」


高価なギターはすぐには手に入らなかった。「これで我慢しなさい」と代わりにスケボーを買い与えられたが、思いは募るばかりだった。石見は母親に内緒でこっそり注文した。もちろんバレて雷が落ちる。不憫に思った祖母が助け舟を出した──それくらいなら、おばあちゃんが買ってあげよう。

「寝落ちするまで弾いていたので、ほとんど毎日のように起きたらギターを抱きしめていました(笑)。それまでできなかったテクニックが朝弾けるようになっていたことも珍しくありません。寝ながらイメージトレーニングしていたんでしょうね」

この常軌を逸したのめり込み、そして思い切りの良さがげんざいのポジションを手繰り寄せた。

「サラリーマンをやると決めたときにすべての楽器は手放しました」


第1回靴磨き日本選手権での石見豪氏。決勝戦は、4人1組の計12人よる準決勝を勝ち抜いた3人によって行われた。

靴磨きを文化に

 
石見の靴を磨く所作はリズミカルで惚れ惚れするくらい美しい。音楽の方面でもそれなりのところまでいったのだから天性のものかと思ったが、まるで違いますと笑った。

「みずからの作業風景を録画して、徹底的に修正していきました。磨く姿もプロフェッショナルにとっては欠かせない素養ですから」

石見は努力の人で、だれよりも靴磨きを文化にしたいと考えているひとりである。

©THE WAY THINGS GO OSAKA


そのスタンスは売れ行き好調なオリジナルブラシからもうかがえる。漆を思わせる艶やかな背の表情は一週間かけて塗り重ねた賜物だ。そこに描かれた豚毛なら豚、馬毛なら馬、山羊毛なら山羊のイラストはイラストレーターと何十回とやりとりをして完成させた。パッケージもフランスあたりのショコラトリーを思わせる、洒落た雰囲気が漂う。インテリアとしても成立すること──それは石見にとって譲れない部分だった。

「いまのぼくがあるのはすべて長谷川さんのおかげです。このことは、一生いいつづけたいと思っています。長谷川さんはゼロからあたらしいマーケットを創造しました。靴磨きを格好いいものに変えたんです。クラシックしかなかった時代にロックを生んだスターのようなもの。ぼくはかれの背中を追って、ここまできました」


Photo:Tatsuya Ozawa
Text:Kei Takegawa

*価格はすべて、税込です。

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