テーラー山口信人×シューメーカー福田洋平──海外で学んだこととこれから

世界からの評価もたかいシューメーカー、福田洋平、そしてその将来を期待される新進気鋭のテーラー、山口信人。はじめて実現した対談からは近しいメンタリティが浮かび上がった。


福田 洋平(左)
ふくだ ようへい●富山県出身。イギリス留学中に、靴の魅力にはまり、靴職業訓練学校の「トレシャムインスティテュート」に入学。在学中には<ジョンロブ>や<エドワード グリーン>、<チャーチ>など数々の名門で修行を重ねるかたわら、ビスポーク靴職人イアン・ウッド氏に弟子入り。イギリスの伝統技術であるハンドソーンウェルテッド製法のノウハウを学ぶ。 卒業後は<ジョージ クレバリー>や<エドワード グリーン>、<ガジアーノ&ガーリング>などのアウトワーカーを経て帰国。2008年、自身の名前を冠にしたブランド<ヨウヘイ フクダ>を立ち上げる。

山口 信人(右)
やまぐち のぶと●東京都出身。服飾専門学校に入学し、テーラーを志す。卒業後は大阪ファイブワンでテーラリングの基礎を習得後、ミラノに渡り、1年間語学学校と仕立て屋に通う。帰国後三越伊勢丹に入社、次年から顧客限定でオーダーを取り始める。伊勢丹メンズ館にイベントで来日していたジェンナーロ・ソリートの服をみて感銘を受け、働きながら時間をみつけてはナポリに通い、ナポリ仕立てを学ぶ。2016年春夏、自身のブランド<ラ・スカーラ>を立ち上げる。

福田 お久しぶりですね。これまで膝を突き合わせたことがなかったので楽しみです。さっそくですが、あらためてうかがいます。この世界を目指すきっかけは?
山口 つくるのが好きでファッションの学校に入りました。なんとなく選んだコースが婦人主体で、これが一向にイメージが湧きませんでした。(笑)。そんなときに手にしたのがイギリスのジェントルマンズ・ブック。こんなかっこういい世界があるんだって、いっぺんで虜になりました。
福田 ぼくはどうやら隔世遺伝です。廊下をガラス張りにして、庭の池を床下まで拡張する工事をひとりでやっちゃうのがうちのおじいちゃんでした。我が家はそんなわけで家にいながら鯉が眺められました(笑)。
山口 それは玄人はだし(笑)。


福田
山口さんの憧れはサヴィル・ロウにあったわけですが、修業したのはイタリアですね。
山口 20歳で大阪に出て留学資金を貯めはじめるんですけれど、勉強するんだったらイタリアがいいぞ、むかしのサヴィル・ロウそっくりだからって恩師が薦めてくれたんです。
福田 で、いったん修行を終えるもふたたびイタリアへ。あのジェンナーロ・ソリートのもとにかようわけですね。
山口 (うなずきながら)とにかく刺激的な日々でした。ジェンナーロは型紙をつかわず、直接生地にチョークを引いて裁断していくといわれていました。都市伝説かと思ったら、ほんとうでした(笑)。そのスーツがまた痺れるくらい格好よかった。着手の体型に縛られないから、みずからの黄金比がまもられるんですね。ただ、毎回仮縫いが必要になってくるので効率はすこぶる悪い。
ジェンナーロから盗んだことはいまもわたしの根っこにあります。さすがに型紙は残しますが、自分が出したい線というものをはっきりと意識するようになりました。

*ジェンナーロ・ソリート…ヴィンツェンツォ・アットリーニの右腕だったルイジ・ソリートを父にもつ現代のナポリ4大サルトの一人。ヴィンツェンツォはサルトリア・ナポレターナの礎となるロンドンハウスで活躍した伝説のカッター。


福田 それにしても伊勢丹で働きながらの二重生活。バイタリティがありますね。
山口 むしろ福田さんのほうがすごいと思います。イギリスに渡られた90年代はまだまだ単身海外で修業するケースはまれだったはず。尻込みしなかったんですか。
福田 富山で生まれ育ったぼくの場合はむしろ東京のほうがハードルが高かった(笑)。
山口 そういうものなんですね(笑)。


いまなお手の仕事の優位性は揺るがない


山口 イギリスでの生活はいかがでしたか?
福田 モノづくりはもちろん、本場の思想そのものにやられましたね。たとえばジョージ・ブライアン・ブランメルの言葉といわれる“街で人に振り返られるような装いは恥ずべきである”。気の遠くなるような歳月のなかでたどり着いたテイストフルな美意識にはつよい憧れを抱きました。
山口 そうしてたどり着いたのがオックスフォードをハウススタイルとする、“最高の普通”という方向性ですね。
福田 ええ。だれとどこで過ごすのか。そのときの履き手が引き立つような靴を一番に考えています。靴だけがかっこういいのはナンセンスだと思う。
山口 福田さんはファクトリーにも潜り込んだんですよね。双方をみてそれでも手の仕事を選んだ理由を教えてください。

*ジョージ・ブライアン・ブランメル…平民の出ながら、卓越したファッション・センスで社交界を席巻した洒落者。

福田 機械化の歴史はいかにして手の精巧さに近づくか、というところからはじまっています。いいものならどちらでもいいんですが、やはり手の世界は奥深いですよ。
山口 どんなにオートメーション化したファクトリーだって手の仕事は0になっていませんからね。(つかの間ためらって)わたしには工場生産のスーツはどの国のものもほとんど同じにみえます。イタリアだろうと、イギリスだろうと。
福田 なるほど(笑)。


SNSの時代なら老舗とも対等に戦える


福田 山口さんはこの4月にラ・スカーラを立ち上げたばかりですが、上々のスタートを切ったそうですね。
山口 おかげさまで。ありがたいことに海外でのビスポーク経験も豊富な男性に評価いただいています。現在はお客さまがお客さまを呼んでくれる感じです。福田さんのところはいまや海外のカスタマーが半分を超えているとか。
福田 SNSのおかげです。ひと昔前は“靴ならイギリス”という構図が崩れることはなかったし、かくいうぼくもそのひとりでした。ところがネットの時代になって世界のシューメーカーがおなじスタート地点に立てるようになった。いいものはいい、悪いものは悪いと比較検討できるんですね。
山口 クリック一つでモノが買える時代、われわれの強味はどこにあるとお考えですか。
福田 ツイードがいかに肉厚で暖かいといっても、保温力だけでいったらペラペラのダウンに負けます。ぼくは意地でもダウンを着ない派ですが(笑)、それはともかく、そういう情報もすっかり丸裸にされるようになったいま、わざわざお越しいただけるのはファンクション以上のなにかを求めているからではないでしょうか。手前味噌ですが、履き手と一対一で向き合い、いちからつくり上げていく長閑なプロセスがもたらす豊かさは現代にあってなおさら引き立ちます。
山口 おっしゃるとおりです。


福田 さいごに今後の抱負を聞いて、この対談を締めましょう。
山口 漠然としていますが、職人の地位を上げたい。モノをつくるヒトというのは海外では尊敬の対象です。だからいいものが残るし、後進も夢をもってその世界を目指すことができるんです。

Text:Takegawa Kei
Photo:Fujii Taku

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