Masterpiece Makers──名品の担い手【前原光榮商店】(1/2)

日本の洋傘産業の礎は明治初頭に芽生え、東京では城東地区を中心に技術と伝統が育まれてきた。三代続く家業としての“名品”をつくりつづける前原光榮商店は、下町情緒漂う台東区三筋にあった。


1階は前原光榮商店ショールームとして、既製品からオーダーメイド品まで、メンズ&レディスのこだわりの傘を販売。上階に工房があり、ここで生地の裁断・縫製をして骨組みに張り、手元を付けて出荷まで行う。

前原光榮商店──ヨーロッパの高級傘より手が込んだ匠の技の結晶


創業は1948年。いまから70年前に東京の下町で生まれた前原光榮商店は、“傘”という文字にある4つの“人”を 傘づくりの4つの工程を受けもつ匠の数と考える。まずは“生地を織る”、次 に“骨を組む”、そして“加工”を経て、最後は“手元”を指す。

手作業による高級傘は、完全分業制でつくられるのが一般的だ。1本の傘につき約200前後のパーツが存在し、工程は100以上。生地は機屋が、骨は骨屋といった専門業者が製造し、ここではその織り上がった生地と組み終えた骨を引き継ぎ、傘にする。実は、この加工にも独立した工房を構える加工屋がいて、前原光榮商店も数年前までは外注に頼っていた。しかし、傘づくりを支える職人のほとんどが、現在70代後半から80代と高齢であることから、社内で人材を育てる方針に切り替えたという。


田中一行
たなか いっこう●1980年生まれ。大阪芸術大学卒業後、いくつかの会社で勤務の後、2013年に前原光榮商店に初の傘職人として入社。

職人枠で初めて社員採用された田中一行氏は、匠の技が凝縮された前原光榮商店の傘に魅了され、異業種からこの業界に飛び込んだ。もともと、もの づくりに興味があったというが、傘に関してはまったくの素人。そこで入社後、ベテランの傘職人の下に約1年半通い詰め、少しずつその技を習得していった。

「修業開始から2年が過ぎたあたりから、商品を任されるようになりました。傘づくりの難しさは、生地のクセなどもあり、同じ工程でもひとつとして同じ傘ができないところ。でも、手作業だからこそ、自分の感覚と経験でコントロールしていけるのが面白いですね」と田中氏 。


東京・浅草の地で日本製にこだわった洋傘の製造・販売業を営む。「雨の日が待ち遠しくなる傘」という想いから、部材や品質にこだわった少量生産の正確な傘づくりをつづけている。傘を開いたときの円形に近いフォルムに定評がある。

<前原光榮商店>傘 36,720円
■メンズ館1階=シーズン雑貨・装身具
 



通常のコウモリ傘の骨は8本だが、前原光榮商店の代名詞とされるのは、開いたときのフォルムが美しい16本骨傘。傘は骨の数が多ければ多いほど、作業に精巧さが求められ、つくるのが難しくなる。大量生産品では生地の裁断時、たくさんの枚数を重ねて効率を上げているが、前原光榮商店の加工は精度を重視して多くても4枚重ねまで。また、縫製は16本骨があると1ミリのズレが16箇所に影響し、最後には16ミリの ズレが生じるなど、寸分の狂いも許されないシビアな世界だ。仕上げに、手元職人が丹精込めて“曲げ”と“塗り”を施した手元(ハンドル)を付けて完成するが、前原光榮商店ではこの部分にもこだわりがある。中棒に綿糸を巻きつけ、ネジ山の代わりにすることでしっかりと手元を安定させ、かつ接着剤があふれるのを防ぐのだ。1本の傘を仕上げるのに2時間強。1日6本が限界だという。

傘は雨を凌ぐ道具だが、同時に使い手が愛着をもって、長く付き合っていきたくなる美しさも大切にする。そんな矜持がここの傘づくりを支えている。

NEXT>寸分の狂いも許されない、職人技が凝縮した傘