2018.04.07 update

【特集|バイヤーのこぼれ話】Vol.2 鏡陽介|4年通って口説いたテーラーの極めつき。

さいきんは切り身が海を泳いでいると本気で信じている子どもがいるそうです。海から食卓にのぼるまで──この過程こそが生を実感することのできる部分であり、知らずに育つなんてなんとも味気ない話です。それはファッションの世界とて例外ではありません。口福を感じさせるムニエルが、海のなかを元気に泳ぎまわった舌平目やスズキがいて、腕っこきの漁師や料理人がいてはじめて食卓にのぼるように、裏方として日夜奮闘する人々がいて華やかな舞台に立つことができるのです。


昨秋始動した“ラッコルタ アルティジャーノ”に念願のブランド、〈アンダーソン&シェパード〉が名を連ねた。この老舗テーラーのコレクションが本国の店以外に並ぶのは快挙中の快挙。仕掛け人は、カスタムメイド バイヤーの鏡陽介だ。

1906年に創業したサヴィル・ロウのテーラー、〈アンダーソン&シェパード〉。王侯貴族を顧客に抱えたフレデリック・ショルティのもとでカッターを務めたパー・アンダーソンは師匠譲りのドレープ、ロンドン・カットで一世を風靡、20世紀のファッション・アイコンであるウィンザー公を通してその名は知れ渡りました。往年の名優や著名デザイナーまで虜にした、まさにスーツの源流ともいえる存在。ここを知らずしてスーツを語るのは滑稽というものでしょう。

会いたいというメールのレスポンスは待てど暮らせどありませんでした。どうにかしてその重い門をこじ開けたいわたしは、取引のあった〈ヘンリー・プール〉の七代目、サイモン(=サイモン・カンディ)に頼み込んで連れていってもらいました。サイモンは副会長のアンダ・ローランドにわたしを紹介すると、「がんばれよ」と囁くようにいって帰っていきました(!)


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わたしのアツい思いは暖簾に腕押し。その敷居の高さに目眩を覚えながらも最後にこういいました。〈アンダーソン&シェパード〉は文化だと思っている、と。アンダの顔はその瞬間、パッと晴れた。商談は失敗に終わりましたが、「いつでも遊びにおいで」と見送ってくれました。

わたしは半年に一回のペース、ヨーロッパへ出張するたび顔を出しました。社交辞令だったのでしょう。2回目の訪問ではほんとうに来たの、という顔をされましたが、それでもめげず、お茶菓子をもって通いつづけました。

取引が決まったのは門を叩いて4年目のこと。「君はどうやら信用できる男のようだね」といわれたときは感無量でした。

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サルトリアの殿堂、「ラッコルタ アルティジャーノ(職人のコレクション)」

〈アンダーソン&シェパード〉が参加する編集コーナーの名は“ラッコルタ アルティジャーノ”といいます。イタリア語で職人のコレクション、の意。2014年に立ち上げた“メイド トゥ メジャー”のワンランク上を目指したフロアです。憧れのブランド。とはいえ、おいそれと袖を通すことは叶わないブランド。そういうヨーロッパ最高峰の職人技を既製服で、というのがこのプロジェクトの勘どころです。〈アットリーニ〉や〈サルトリア チャルディ〉など既存のブランドでローンチ、今シーズンはあらたに7つのブランドを迎え入れました。その半数近くが初の既製であり、そのすべてがかれらの生産背景から生まれます。

〈アンダーソン&シェパード〉から登場するのはパンツ。正確には〈アンダーソン&シェパード〉ではなく〈アンダーソン&シェパード〉が数年前にオープンしたハバダッシャリーで扱われています。〈アンダーソン&シェパード〉のカッターが型紙を引くパンツを中心に用品雑貨の既製品を取り揃える店で、世界有数の百貨店からの熱烈なラブコールにも首を縦に振らなかった、いま、おそらく指折りの存在です。


個性のあるスーツ・スタイルを目指して


かつてユニフォームだったスーツは個性を表現するコスチュームへと深化しました。“メイド トゥ メジャー”はテーラーの世界観を前面に押し出したサンプルをずらりと揃え、着手それぞれの趣味嗜好にあった一着を選んで欲しい、というところから始まっています。狙いはあたり、フロアを代表するプロジェクトに成長しました。

マグロしかない寿司屋だったら飽きてしまう。わたしならウニもイクラも光り物も食べたい。ブランドの開拓やアプローチの創出は成熟したマーケットのニーズに応えるためのものです。

いまにいたる過程を振り返ると、スペック礼賛主義への疑問があった。ディテールにこだわったってけして格好良くなれるわけじゃない。その人らしいスタイルをつくりあげてもらうためにわたしが目をつけたのが、日本縫製の“メイド トゥ メジャー”。

これはいわゆるライセンス・ビジネスであり、かつてはわたしも嫌悪していたビジネスでした。しかし嫌悪の正体はシステムそのものではなく、やり方だったんです。売らんかなで(ライセンス元の)サプライヤーの思想を無視したものづくりが蔓延したから、消費者にそっぽを向かれたとわたしは考えます。


ラペル幅をがらりと変えるようなモディファイはしません。たとえそっちのほうが時代感を捉えていたとしても、です。なぜならばテーラーの持ち味を殺してしまうからです。

かれらの旨味成分をじっくりと抽出しつつ、手の届くプライスレンジに収める。それが“メイド トゥ メジャー”であり、“メイド トゥ メジャー”の次のステージが“ラッコルタ アルティジャーノ”です。

幸先良いスタートを切ったとはいえ、“ラッコルタ アルティジャーノ”はホップステップジャンプの“ホ”にもいたっていません。既製服はあくまで目次的な存在で、やはりいずれは誂えの領域にまで広げていきたい。もちろん、本国でそのすべてを賄うビスポークでもいいし、仮縫いを省き、スピードを重視したスタイルでもいいと思っています。


じつは〈アンダーソン&シェパード〉はすでにバイオーダーを採っています。トラウザーズとグルカの2型で、素材は40〜50から選べます。プリーツやフライフロント、ウエストバンドなどのスペックも選択肢を用意しました。

親の仕事の関係で生まれてほどなくロンドン、9歳からはシカゴで過ごしました。教室にはアフリカ、アジア、ユダヤ……さまざまなバックボーンをもった同級生がいました。人間は一人ひとり違う。それはたしかなこととしてわたしの意識に刷り込まれました。スーツに個性を求めるのは、ひょっとしたらこの幼少期の記憶が影響しているのかも知れませんね。

Text:Kei Takegawa
Photo:Tatsuya Ozawa

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