2020.07.03 update

Vol.19 IWANAMI TOMOYUKI| 日本の伝統美を込めた唯一無二のサーフボード(1/3)


伊勢丹新宿店メンズ館2階=メンズクリエーターズ内「ART UP(アートアップ)」において、LAを拠点に置き、世界を舞台に活躍しているクリエイター、IWANAMI TOMOYUKIさんの展示「BETWEEN LAYERS」を7月11日(土)より開催。日本の伝統工芸や独特の文化を海外で紹介したいという思いで活動しており、今回はサーフボードに、焼杉板(しょうすぎばん)や金継ぎ、和紙など日本の伝統的な素材や技法をあしらった作品を中心に展示する。ロサンゼルスにいらっしゃった岩波さんに、オンラインインタビューにて、アーティストになるまでの経緯から展示の見どころに至るまで幅広くうかがった。

IWANAMI TOMOYUKI
クリエイター
アメリカ・ニューヨークで日系アメリカ人として生まれ、高校・大学まで東京で過ごした後ロサンゼルスへ渡る。 自身の生まれ育った立場から"日米の橋になりたい"と志し、世界的に日本文化に興味を抱いてもらうことを目的に、日本の伝統工芸や手法を組み込んだクリエーションが特徴。現在はロサンゼルスとニューヨーク間を行き来し、ファッション・空間デザイン・飲食など幅広い分野でブランディングやマーケティングを手掛けている。


クリエイターではなくミュージシャンを志した学生時代


――岩波さんはニューヨーク生まれ、日本の大学では英米文学を学び、現在はクリエイターとして活動しているが、一体どのような経緯で今に至るのか。そこには意外な理由があった。

 

当時の自分の夢がミュージシャンになることだったんです。高校は慶應の付属高校だったのでそのまま大学に進学できたのですが、進路相談の時に、音楽をやる時間が作れそうな学部ってどれかなって考えた時に、英米文学科がもっとも理想的だったんです。ニューヨークにいたので英語はできましたし、あと作詞活動にもいい影響があるかなって(笑)。ニューヨークのクイーンズというところの出身なんですけど、僕が音楽に傾倒し出した80年代中~後半くらいの当時はRUN DMCやエアロスミス、ニルヴァーナとかガンズ&ローゼスとか全盛期で。ヒップホップからロックまで本当にいろんな刺激があったことが大きかったと思います。

 

――大学卒業後はミュージシャンになる夢を叶えるため、スーツケースとギターを抱えて単身LAへと向かう。まだ現職までの道筋は見えないが、このLAでの生活から少しずつ運命が動き出す。


LAで暮らすようになってある日、日本の友達とその友達の知り合いの社長さんが二人で遊びにきたのですが、その社長さんが近々会社の社員を現地スタッフとしてLAに送り込もうとしていたらしいんです。そこは主にカリフォルニアを中心としたブランドを扱う洋服の代理店だったのですが、僕ならビザもいらないし英語も喋れるということで、現地スタッフとして仕事をすることになったんです。最初は苦労の連続でしたが、続けるうちにビジネスの面白さに気づきました。当時僕には、自分の立場を使って色んな人を助けたいという夢があったのですが、音楽で実現させるよりも、こっちの方が先に辿りつけるんじゃないかなと思い、、、。だから音楽はちょっとお休みして、ビジネスに集中しようと思って始めました。

 

――岩波さんの幅広い人脈もあり最初好調だった業績も、東日本大震災やリーマンショックなどが重なり、思うような成果があげられない時期が続いた。

 

収入がパタパタとなくなって、いろいろと考える時間があり、カウンセラーに相談をしたんです。「自分には自分の立場を使って世の中の人々を助けたいという夢がある」って。そうしたら「自分のことを助けられない人が、周りを助けられるわけがないでしょう」と言われまして。その時に自分にとって何が大事なのかを改めて考えたんです。そうしたら今までどんなときもクリエイティブというものが自分の中にずっとあったことに気づいて。それからは、クリエイティブな活動をすることに集中しました。自分の新たな目標として、世界に6店舗、自分のアトリエなのかスタジオなのかお店なのかわからないですが、とにかく6都市に何かを作ることを掲げて。その目標に近づくためだけに仕事をするようにしたら、全てがうまく回り始めたんです。