2016.09.16 update

【インタビュー】靴磨き職人・井上源太郎|まだ足りぬ、学び学びてあの世まで。(1/2)

誰もがみとめる日本最高峰の靴磨き職人、井上源太郎。通称、源さん。70歳を超えたいまもホテルオークラでその腕前を惜しみなく発揮し、多くの顧客を魅了している。ところが源さんは開口一番いうのだった。靴磨きは奥深いものじゃないよ、と。下町特有の照れの文化をたっぷりとご堪能あれ。


1945年。ぼくは疎開先の茨城の防空壕で産声をあげた。神田にあった井上の呉服店は空襲で焼失して、おやじは戦後、商売を替えました。

はじめて履いた革靴は高校の入学祝いでおやじに買ってもらったもの。お代は忘れもしない1280円。そのころは朝霞のキャンプ・ドレイク(米軍基地)に住んでいてね、近所の白人から靴磨きを教えてもらった。スピット・シャイン、ツバつけて磨く方法を仕込まれたよ。

ぼくが20歳のときにおやじは友人とスーパーマーケット経営に乗り出すんだが、これが友人に裏切られ、自宅まで売っぱらわれた。傷心のおやじをみるのが辛くて家を出ました。伝手を頼って赤坂の山王ホテルにボーイとして潜り込んだ。将校の靴磨きを買って出たら評判でね。そんなこんなで東京ヒルトンホテルにスカウトされたのが1972年のことだった。



とにかく有名人には事欠かなかった。佐藤栄作などの歴代の首相や石原慎太郎、ジャイアント馬場…。ビートルズやマイケル・ジャクソンの靴も磨いたよ。

いきなり出鼻をくじいちゃうと、20歳のころに戻れるなら、本気で彫刻家を目指したいと思っている。家には芸術祭「不」参加の作品がいっぱいあるよ。おやじは婿養子で、呉服の家に入らなかったら画家になっていたはずだ。ぼくからみても才能があった。おやじの兄は日本で三本の指に入る帯の職人だった。そういう血が流れているんだ。

さいきんは靴磨き職人になりたいって若者が多いようだけれど感心しないね。会社員なら有給休暇があるけどさ、まず休めない。厚生年金もない。家族を養うんなら年に5〜600万円は必要だろう。日割り計算したらいくらになると思う。それだけ稼ぐには靴磨きはかなりのハードワークだよ。ぼくがいうんだから間違いない。おんなじだけ働いたら、会社員ならそうとう偉くなれる。

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