2019.07.02 update

Vol.6 安田昂弘|曖昧なデジタル“ドローイング”の可能性(1/2)

メンズ館2階=メンズクリエーターズのギャラリースペース「ART UP(アートアップ)」では、日本が世界に誇る気鋭のアートディレクターであり、グラフィックデザイナーでもある安田昂弘さんの作品展「EMERGING」を7月10日から開催する。NIKEの広告やm-floのアートワークなど、引く手あまたのクライアントワークに追われながらもクリエイターとしての作品も発表し続ける氏に、そのインスピレーション源やクリエイターとしてのルーツ、本作品展のテーマなどについて話を訊いた。

イベント情報

「EMERGING」

□7月10日(水)〜7月30日(火)
□メンズ館2階=メンズクリエーターズ/アートアップ

 



NIKEのスニーカーに憧れた、名古屋のバスケット少年

「実は初めてデザイナーという職業を意識したのは、小学校2年生くらいのとき。バスケットボールのNBAへの憧れと同時に当時のスニーカーブームにも触発されて、漠然と『将来はNIKEのシューズをつくるんだ』と思っていました。それが今、プロダクトデザイナーではないですがNIKEさんのビジュアルのお仕事をさせていただいているというのは、本当に面白いですよね」

そう語る名古屋出身のバスケット少年だった安田昂弘さんにとって、まだ「夢のまた夢だった」仕事。やがて夢から目標へと変わる、最初のきっかけとなったのがイラストレーターの若野桂さんだった。

「中学生の時、ZEEBRAやTWIGY、DEV LARGEのラップが流れる当時のNIKEのTVCF「PLAYER'S DELIGHT」がめちゃくちゃカッコよかったんですよ。でも当時はそのグラフィックというかイラストを手がけているのが日本人だということも、それがグローバルの広告であることも分からなかったんですけど、とにかくスゲー、カッコイイなと。後々、『アレ作ったの名古屋の人らしいよ』って友人から聞いて、しかもその人は僕らの地元のすぐ近くに住んでる身近な人だっていう(笑)。それらが繋がったときに、芸能やスポーツ分野じゃなくても、名古屋のようなローカルからでもスターは生まれるんだというのが実感できたんです。若野さんという“地元の星”を知って、自分にも可能性があると信じられた。そこは目標にしたいし、やってやろうと思いましたね」


上京後は東京造形大学の写真学科を経て多摩美術大学を卒業後、株式会社ドラフトに入社。実力派デザイン集団として知られるこのスタジオで、グラフィックデザインからアートディレクション、プロダクトデザイン、ムービーディレクションなど、あらゆる分野で活躍。充実したキャリアを送りながらも、2015年6月、ある決意を胸に独立を果たしたのだという。

「以前の職場は、時に怒鳴り合いながら、時に笑い合いながら、クライアントと膝と膝を突き合わせて、直接、密にコミュニケーションを取りながら一緒にものを作っていくようなスタイル。いわゆる“クライアント様様”というのがない、そのやり方に強く感銘を受けたんです。僕らはクライアントの研究者と対等に話せるくらい、その企業のテクノロジーの仕組みそのものから本気で勉強しました。それ自体はとても面白かったんですけど、もっと自分が好きな世界で、こういう仕事の仕方はできないかと思いました。そこで勉強したスタイルで、自分の好きな人たちを相手に、自分の好きな仕事をしようと決意しました」



独立後、手探り状態ながらも会社員時代以上の熱量をもって仕事に取り組んでいた安田さんが出合ったのが、CEKAIというクリエイティブチームと、そこに所属するトップクリエイターの面々だ。

「僕はひとりでモノを作るのが好きじゃないんですよ。色んな才能ある人と、ああでもないこうでもないというやり取りをしながら、グルーブ感を持ってやっていくのが好き。クリエイティブディレクションからグラフィックから映像編集までひとりってのは、寂しさしかありませんからね。その点CEKAIというのは、“つながり放題”のチーム。代表の井口皓太や大学時代からの同級生の一ノ瀬雄太、映像監督の木村太一など魅力的なクリエイターが多いし、各分野にヘンっていうか、スゴイ人ばかりいる。僕らのような仕事って、文化祭というか借り物競争みたいになることが多いので、こういうオフィスになるんですよ。ゴチャゴチャしていて集中できなさそうで、実は機能しているという。みんなで集まる日時を決めることすら大変なんていう環境に比べたら、呼吸的にドライブしやすいというメリットは大きいですね」

 

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