2017.12.03 update

【イベントレポート】ファッションが変わるとビジネスも変わる!中野香織が語るスーツをめぐる誤解と真実(1/2)

ライフスタイル情報サイト『NIKKEI STYLE』の読者を招いたトークイベント「NIKKEI STYLEメンズファッションサロン~ファッションが変わるとビジネスも変わる~」が丸の内・イセタンサローネ メンズにて開催。この日行われたイベントでは、服飾史家で明治大学国際日本学部特任教授の中野香織さんと、NIKKEI STYLE Men’s fashion channel編集長の平片均也氏によるトークショー「スーツをめぐる誤解と真実」について語られました。


中野香織
服飾史家、明治大学国際日本学部特任教授。東京大学大学院修了。元英ケンブリッジ大学客員研究員。男女ファッション史から最新モード事情まで、研究・執筆・講演を行っている。著書に『紳士の名品50』(小学館)、『モードとエロスと資本』(集英社新書)ほか多数。公式HP http://www.kaori-nakano.com

「スーツの基礎」は、歴史を知ることから


スーツには誕生日があります。皆さんはご存知ですか。誕生日は1666年10月7日、舞台はイギリスです。351年前の10月7日に、英国王チャールズ2世が「衣服改革宣言」を発しました。その内容は、「余は新しい衣装一式を採用することにした。この衣装は、もう変えることはない」というもので、この宣言によって、“スーツのシステム”が生まれました。

それまでの宮廷服が一新され、長袖上着、上着の下に着用する下衣(半ズボン)、べスト、シャツ、タイというスリーピーススーツの原型が誕生。下衣が長ズボンになるのはフランス革命以降です。ちなみに、当時の男性は化粧をして、ハイヒールを履いて、レースたっぷりのシャツを着ていました。

なぜ1666年10月7日という日が明確に分かるかというと、サミュエル・ピープスという人の日記に衣服改革宣言が記録され、「べストが導入される。これは貴族に倹約を教える服になる」との記載もあります。

上着(コート)+べスト+下衣+シャツ+タイというシステムが生まれたことで、1666年10月7日が「スーツの誕生日」となっていて、現在に至るまで形を変えながら脈々と受け継がれてきています。


中野香織さんと、NIKKEI STYLE Men’s fashion channel編集長の平片均也氏

17世紀中盤に「衣服改革宣言」が必要だった理由


英国王チャールズ2世が「衣服改革宣言」をした理由は、前年の1665年にペストが猛威を振るい、翌年にロンドン大火が起きるという、イギリスは災い続きで、もともとだらしない英国王に非難が向けられるのを避けるため、ビジュアルでわかりやすく宮廷改革をアピールするために「メンズウエアから改革する」と宣言したわけです。

国王の衣服改革宣言でポイントになるのがべストで、以降、スーツにはべストが付きものになり、「べストあってのスーツ」になっていきます。導入当初は、見えるところだけに高価な布地を用いることで倹約を進める意味がありましたが、フランス・ブルボン朝のルイ14世の16個の宝石をちりばめたべストのように、どんどん贅沢品に変わっていきます。

その名残が結婚式などで用いられるオッドべストで、明るい色が好まれています。


雑誌『サライ』に連載された「紳士のもの選び」の単行本化された中野香織さん著「紳士の名品50」。「外見をつくるもの」「必携の小道具」「愛と休息を彩るもの」「日本の粋と心意気」という4章立てという充実の内容となる。

現在のスーツの原型と、ドレスコードの誕生


今、皆さんが着用しているスーツは、19世紀の中頃の「ラウンジスーツ」が原型です。当時の男性は、昼間はフロックコートを着るなど、堅苦しい装いをしていて、ラウンジでくつろぐときに腰を絞るダーツのない着心地の良い服を着ていました。また、産業革命の進行に伴う中産階級の台頭を背景に「ドレスコード」が生まれてきます。

それまでの支配階級であった貴族たちと一緒に政治や経済に携わるようになった中産階級が、着る服で差別されることなく、仕事や社交を円滑に進めるために生まれたのがドレスコードで、「ビジネスの場では対等の立場である」という合理主義的な考え方も反映されています。

そして、産業革命とともに植民地を広げていった英国は、「英語とスーツと紳士のあり方」をセットにして世界中に普及。日本もその流れに影響を受ける形で、1871年の閣議で洋装の導入を決定。「世界で着られている服を着よう」という、まさに当時のグローバリズムを捉えたものでした。