2017.06.27 update

【インタビュー】独立時計師 ピーター・スピーク・マリン|時計製作は、私の人生そのもの。それまでの経験のすべてが、作品に生かされている。(1/2)

スイスには、100を優に超える時計ブランドが存在する。100年を超える歴史を持つ老舗は少なくなく、一方で1990年代以降、多くの新興ブランドが誕生してもいる。年間数10万本を製作するビッグ・ブランドもあれば、1,000本に満たない小アトリエもある。

<スピーク・マリン>は、そんなスイス時計界にあって、技術的にも芸術的にも、優れた個性を発揮する新興のアトリエ系ブランド。創業者は、ピーター・スピーク・マリン。自身の作品以外にも、名だたるブランドに複雑機構を提供してきた実力派のイギリス人独立時計師である。


彼は17歳でロンドンにある技術系専門学校「ハックニー・テクニカル・カレッジ」に入学し、時計の基礎を学んだ。この学校を選んだ理由は「たまたま学校の先生に紹介されたから(笑)。当時から機械には興味はありましたが、時計師になりたいと強い意志を持っていたわけではありません」。しかし実際に授業が始まると「自分にあっている」と、強く感じたという。

「個人でやり遂げられる仕事であるという点に、強く惹かれたんです。機械に加えて興味を持っていた歴史やアートのすべてが時計にはあり、学ぶ点が多かった。そして何より、僕は成績が良かったんです(笑)」

ロンドンの学校を卒業後、「学ぶことが好き」だというスピーク・マリンは、スイス・ヌーシャテルの名門時計学校『ウォステップ』に入学。およそ4ヶ月のコースを履修してロンドンに戻り、時計店の修理部門に職を得た。



「そこに6年ほど勤めましたが、ある日“もうここで学ぶべきことはない”と感じ、次のステップとして、とあるスイスの時計ブランドのロンドン支社に転職しました。でも6カ月ですべてを学び終えてしまった。そこでまた別のブランドに移ったのですが、そこは4週間で学ぶことが無くなってしまった(笑)」

次に彼が働いたのが、高級アンティーク時計店『ソムロアンティークス』だった。「ここでは、学ぶことが実に多かった」と、振り返る。

「主に17世紀から20世紀初頭の懐中時計の修復に携わり、電気もコンピューターもなかった時代に、これほどまでに素晴らしい機械を作り上げた時計師たちの情熱に、打ちひしがれたのです。そして優れた時計は、時代を越えて受け継ぐ価値があることを実感しました。修復を通じ、永久カレンダーやグランソヌリ、ミニッツリピーターといった複雑機構を学び、その仕組みに関する理解を少しずつ深めていき、気付けば8年の月日が経っていました」


そして「もっと学びたい」との欲求が、抑えきれなくなった彼は、スイスに新天地を求めた。1996年、ル・ロックルにある「ルノー・エ・パピ(現オーデマ ピゲ ルノー・エ・パピ」に入社。ここで彼は、その後の人生を決める出会いを果たし、自身の才能を大きく開花させた。

ルノー・エ・パピは、様々な時計ブランドのために複雑機構を製作し、提供する高級時計工房である。そこには優れた才能の時計師たちが集結していた。2015年のジュネーブ・ウォッチ・グランプリで最高栄誉である金の針賞を受賞した<グル―ベル・フォルシィ>の創業者ローベル・フォルシィ氏とステファン・フォルシィ氏、現在A.ランゲ&ゾーネの設計・開発責任者を務めるアントニ・デ・ハス氏などなど、まさに天才集団と言えよう。その中でスピーク・マリン氏は、入社後すぐにグランソヌリの開発担当者に抜擢された。


「古い時計の修復をしていた私にとって、1からムーブメントを作ることはとても刺激的でした。そして才能豊かな同僚達からも、多くの刺激が与えられました。彼らは、時計の夢を語りあう同士であり、遊び仲間でもあった。ルノー・エ・パピでの経験は、私にとって宝です」