2019.10.30 update

【特集|インタビュー】<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の"本当"の魅力。(1/2)

イタリア・フィレンツェに誕生し、およそ400年という長きにわたって「芸術品」を提供し続けてきた、<オッフィチーナ・プロフーモ・ファルマチェウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ(以下サンタ・マリア・ノヴェッラ)>。悠久の歴史と伝統を受け継ぎ、哲学不変のモダナイズを見事に実現している同社の会長、エウジェニオ・アルファンデリー氏に、<サンタ・マリア・ノヴェッラ>とその製品の、"本当"の魅力を訊いた。


エウジェニオ・アルファンデリー
1948年、イタリア・フィレンツェ生まれ。1989年に、<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の特殊製造の新しい機械のプロジェクトに機械技術者として 関わったことにはじまり、現在は、社長兼オーナーとしてその力を発揮。 エンジニアという才能を活かして技術面でも、また経営面でも文字通り 「伝統と革新」をモットーとしながら、会社を成長させ続けている。

一族で愛した製品を、未来へつなげるという喜び。


今なお中世のような街並みが現存し、メディチ家の栄華の残り香を色濃く感じさせるルネッサンス発祥の地、イタリア・フィレンツェ。その市街の中心で1221年にスタートさせた<サンタ・マリア・ノヴェッラ>は、「芸術品」とも謳われるその製品群によって、メディチ家はもちろん、諸国の王侯貴族をことごとく魅了。現代においても世界中のセレブリティや文化人、著名人を虜にし続けているブランドだ。そしてその母体は、清貧と学究、そして“救済”を重要な教義に掲げて1216年に創設されたドミニコ修道院であり、当初から敷地内に看護室を構え、ハーブの栽培を行っていたという深遠な背景を持っている。


<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の製品は本店から3㎞ほど離れた工場で、自然に育てられたハーブや草花を原料に用いられ、ハーブガーデンや工場、本店内にあるミュージアムは予約制で見学も可能。

「私の一族はフランスのサヴォイアがルーツですが、300年ほど前にイタリアに移り住んで以来、ずっとフィレンツェで暮らしてきました。<サンタ・マリア・ノヴェッラ>との付き合いは、少なくとも曾祖父母の時代から。ずっと家族で愛用しており、バスルームには常にザクロソープがあったことなどが思い出されます。私たち家族にとって<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の製品は、決して欠かすことのできないアイテム。もちろん私自身にとっても、“あるのが当たり前”の生活必需品というくらい大切なものなのです。そんな愛する製品の生産者となり、経営者となれたことは、これ以上ないほど幸せなことですね」

そう語るエウジェニオ・アルファンデリー氏は、長らく顧客として<サンタ・マリア・ノヴェッラ>製品を愛用し、1980年代の終りに初めてその事業を機械技術者としてサポート。それまで使われていた前時代的な生産設備を刷新することに尽力した人物だ。1991年からは、正式に社長兼共同オーナーとなり経営に参画し、エンジニアとして研究開発や生産技術を飛躍的に向上させ、マネージャーとして世界中に多くの独立店舗をオープンさせるなど、ブランド設立当初の理念を継承しながら現代的に進化させるという、非常に困難な改革を実現するために尽力している稀有なリーダーだ。


「私は『イタリア老舗ユニオン(UISI)』というグループの会長も兼務しています。私たちは本当の意味での伝統や、素晴らしい古きものを守っていきたい。日本のお客さまは、<サンタ・マリア・ノヴェッラ>というブランドの商品価値や、その魅力を深く理解してくださっているといつも感じています」

では、<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の顧客のひとりに過ぎなかったというアルファンデリー氏が、その経営に関わるようになったのはなぜなのだろうか。

「私は元々、100年以上続いている家業の繊維工場を受け継いでいました。しかし33年前のある日曜日、偶然にも我が家の向かいに住んでいた<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の経営者と話していたら、会社の錠剤製造機の調子が悪いので機械技師である私に修理を頼みたいと言われました。その時初めて、<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の工場に足を踏み入れたんです。当時の機械は1820年代に製造されたもので、1分間にわずか58錠しか作れないほど性能の低いもの。おまけに、ほぼすべての機械の状態が劣悪でした。理由を尋ねると、会社を手放す予定なので設備投資や十分なメンテナンスができないというのです。そこでまずは、機械の修理を請け負うことにしたんです。<サンタ・マリア・ノヴェッラ>がなくなってしまっては、私自身がとても困ってしまいますからね(笑)」


聞けばオーナーが手放そうしている<サンタ・マリア・ノヴェッラ>の売値は、アルファンデリー氏にとってにわかに信じがたいものだったという。

「そのときから会社の再建を手伝うことにしました。機械を整備して生産環境を整え、フィレンツェの本店をリニューアルし、やがてボローニャ、そしてパリにもショップをオープンするくらいまで、経営を軌道に乗せることができました。そして1991年、共同オーナーとして、正式に経営に関わることになったのです」