2019.06.07 update

【特集】和魂"再生"洋才──東北発、<Samurai ALOHA/サムライアロハ>がベールを脱ぐ(1/2)

東北で生まれたアロハシャツ、<Samurai ALOHA/サムライアロハ>が話題だ。追い風に乗って6月にフランス・マレ地区のレクレルール、そして7月には伊勢丹新宿店と立て続けにポップアップショップがオープンする。CEOの櫻井鉄矢とクリエイティヴ・ディレクターのgon!が<サムライアロハ>にかける思いを語る。


<サムライアロハ>を運営する株式会社サムライアロハのCEO櫻井鉄矢さん(左)とクリエイティヴ・ディレクターのgon!さん(右)。



櫻井鉄矢の場合──2億着のタンス在庫と待機児童がつながった

 

大学を出たわたしは老舗の古物商に就職しました。同期は銀行や商社の一流どころばかり。憧れがなかったわけではありませんが、会社の歯車になるのは嫌だった。古物商なら一番になれるかも知れないと考えたんです。じっさい、ふたつの支店の店長を経たわたしは2009年、28歳の年にフランチャイズ事業課の課長を任されるまでに。会社員人生は順調でした。

わたしが生まれ育った岩沼市玉浦地区は宮城の沿岸部にあります。東日本大震災で壊滅的な被害を受けました。のちに全損地域に認定されたエリア。実家は奇跡的に持ちこたえましたが、母が経営していたデイサービスの施設は津波に流されました。

瓦礫を前に泣き崩れる人々の姿。ここで行動を起こさなかったら後悔する。暖簾をおろすという母親を説き伏せて引き継ぐことにしました。地元が嫌いで東京の大学に入り、東京の会社に就職したわたしが、です(笑)。



手始めに古巣とフランチャイズ契約を結び、古物の店を出しました。同時にデイサービスの再建にも着手。それから3年。がむしゃらに働いて地盤づくりを一段落させたわたしは、次の一歩を踏み出すことにしました。

古物商の仕事をしていて、残念でならなかったのが着物の扱い。その評価は不当に低かった。日本人として忸怩たる思いがありました。日本にはなんと2億枚にのぼるタンス在庫があるそうです。なんとかタンスから引っ張り出してあげたい──。

そんなときに日経新聞の記事が目に飛び込んできた。そこには日本移民が着物をばらし、縫いはじめたのがアロハシャツの起源であると書かれていたんです。そのシャツは19世紀の終わりにまで遡れる、辛く、苦しい異国での日々に耐えた日本移民の歴史そのものでした。



地元に帰って、胸を痛めたのが待機児童を抱えるお母さんの存在でした。保育園も津波で流されたんです。内職なら子供の面倒をみながらできる。

こうして、集めた着物をアロハシャツとして蘇らせる──おっつけコンセプトに掲げる“和魂再生洋才”の道筋がみえました。ほどき、洗い、裁断する。お母さんたちには一連の流れをまるっとお願いしています。現在、15人ほどが手伝ってくれています。

縫製は福島と盛岡の工場に引き受けていただいています。このアロハシャツはお買い上げいただければ、そのすべてが東北に還元されます。立ち上がる、という思いをイメージして浮かんだのが“サムライ”でした。

残るはデザインです。こればかりはわたしには如何ともしがたい。復興庁の支援事業で紹介されたのがgon!でした。

わたしは0を1にしたかも知れませんが、1を100にしたのは間違いなくgon!です。

 

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