2018.01.28 update

【インタビュー】<B&TAILOR>パク・ジョンユル|クラシコ・アジアを牽引するチェゴの親子鷹

いまメンズ業界で囁かれる「クラシコ・アジア」。その中心地は東京、香港、ソウルのいずれかだろうか。オーダースーツのブームに湧き、テーラーとアパレルが群雄割拠する東京。アーモリーのマーク・チョウ氏がNYへの出店を成功させ、世界的なクラシックドレッサーとしても注目を浴びる香港。そして歴代大統領のスーツを手がけた孤高のテーラーが牽引するソウル。その、父と息子がテーラーを務める、光輝燦然たる韓国のファミリーテーラーに話を聞く機会を得た。



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幼少期に両親を亡くしたパク・ジョンユル氏は、16歳のとき地元のテーラーに修行に入った。頑固で厳格で、仕立て服に深い愛情を注ぐ師匠には、手荒な指導を受けながらもたくさんの技術の基礎を学んだという。18歳でソウルに移ると、大統領をはじめ国内VIPのスーツを手がけるヒルトンホテルのビスポークテーラーに入る。腕の良さはすぐに知れ渡り、若いが真面目で実直なテーラーのもとに、客は国内外から絶えず訪れた。やがてその名はソウル市内で知らぬ者のない若き名テーラーとして響き渡る。

「テーラーという仕事は天職だったと思います。なぜテーラーを志したか?そうですね、貧しかった幼い頃、市場で買ったぶかぶかのパンツを親戚に借りたミシンで直して穿いてみたら、近所の人たちからとても褒められたことを覚えています。それがきっかけだったのでしょうか。当時、ミシンは貴重品でしたが、その音を聞いているとなんともいえず幸せな気持ちになれたんです。今の私は、ミシンの神様に導かれたのだと思うのです」


30歳で独立し開いたテーラーの看板は、のちに<B&TAILOR>と改めた。“B”とは韓国の古い言葉で「ボーリョン」といい王様の年齢を差す言葉だという。王様とは顧客の意。主役はお客さまであり、テーラーはその傍らに寄り添うという姿勢を表している。

順風満帆なテーラー人生を歩むジョンユル氏だったが、ふと自分の仕事に疑問を持つ。それは、ようやく見よう見まねで父の仕事を手伝うようになっていた2人の息子たちに、自分の技術を継承しようと思い始めた頃。「ビスポークの本質とは何か」を自問自答するようになったジョンユル氏。真面目な彼らしいといえば、らしい。


「ふと自分の持っている技術は果たして本当に正しい技術なのかと疑問に思ったんです。ソウル市内には何人もビスポークテーラーがいますが、皆それぞれに少しずつ手は違います。自分の技術を信じてはいましたが、他人の技術のほうが正しく優れているかもしれない。それにイタリアやイギリスといったスーツの本場にも、それぞれ独自の技術があるのに私はそれを知らない。それでも息子たちに胸を張ってこれが正解と言えるのだろうか、それを知らずに、この仕事を続けてはいけないと思ったのです」

自分の技術が、どの水準にあるのかを確かめるためにも、すぐさまジョンユル氏は噂に聞いていたピッティ・イマージネ・ウォモ、そしてサヴィルロウへと足を運ぶ。スーツの聖地を巡り、いくつもの店と工房を見て回り、自分が築き上げてきた技術を再確認する日々、磨き上げてきた型紙を見直していくうちに、自分の技術に関しては正しいと認識することができたという。


しかし追いつけないものがひとつだけあった。それは移り変わる時代のスタイル。時代の潮流に乗っていないスーツではいけない。ビスポークテーラーに必要なのは技術だけでなく、スタイルを生みだしセンスとクリエイティビティである。

「いくつかの工房を見ていくうちに、若い人が働いている工房は活気に溢れ、スタイルも時代についていっていることがわかりました。私がここで学ぶわけにはいきませんでしたが、息子ならきっと期待に応えてくれる。そう思った私は、すぐさま息子をイタリアに留学させたのです」


次男のチャンジン氏はミラノで5年、ファッションとテーラリングを学んだ。それまで、父の工房を手伝ってはいるときは、あくまで作業として行っていた工程の意味を知ったのは留学時代だったと振り返る。あのまま留学せず、いまも父の工房を手伝っているだけだったら、<B&TAILOR>の今はない。

だが帰国した息子が学んできた技術を、父がすぐさま受け入れることができたかといえばそうではない。自国で生真面目に続けてきた腕を否定されることもあっただけに、何度も衝突したと父はいう。


「確かに送り出したのは私ですが、ちょっと勉強してきたからって、私の技術を否定されるのは流石にプライドが傷つきましたよ(笑)。親子喧嘩じゃ済まない喧嘩を何度したことか。でも、私の陽はもう暮れかかっているのは明らかで、息子の太陽はいま登り始めたばかりです。次代を読む目は、息子のほうが優れている。私は彼の背中を見て生きなければならないと、いまでは思っています」

2人が他人で店主と従業員の関係だったら、解雇で終わった喧嘩も、父子は家でまた顔を合わせることとなる。家族意識の強い国民性も手伝って、何度もぶつかり、ときに父が折れ、ときに息子が退き、すこしずつ進歩していくことができたと、チャンジン氏もいう。


話を聞きながら、或るナポリの高名なサルト親子のことを思い出していた。ナポリをでたことのない父と、海外留学から戻った息子。伝統を守りたい父と、改革を求める息子。父と子であり、師匠と弟子であり、店主と針子の関係は、血の色はどんな赤よりも色濃いだろう。<B&TAILOR>に、旧き佳きサルトの姿が重なった。

Text:Yasuyuki Ikeda
Photo:Tatsuya Ozawa

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