2017.01.03 update

【インタビュー】<LOTTUSSE/ロトゥセ> ファンアントニオ・フルシャ|闘牛士のように。(1/2)

ラテンの国のシューズブランドには珍しい、抑制の効いたデザインとイギリスも認めた製靴技術は、マヨルカという島で生まれたロトゥセにしかなしえなかった。


地中海に浮かぶマヨルカ島のインカにはスペイン靴産業の父といわれる男がいた。マヨルカの主要産業だったブドウは19世紀に壊滅的な打撃を受けた。進退きわまった農家は鞣製、製靴業に活路を見出す。時折しも産業革命の時代。乾物屋で生まれ育ったひとりの青年はあふれ出る好奇心の赴くままにイギリスへ渡った。この乾物屋の倅こそ、のちの靴産業の父、アントニオ・フルシャである。

叔父が靴職人だった。叔父のモノづくりを目にしていたアントニオにしてみれば、彼我の差がもっとも端的に伝わったのだろう。前途洋々ないくつもの業界のなかから製靴業に照準を絞って7年、ノーサンプトンで修業に励んだ(残念ながら文献が残っておらず、どこで学んだかはわからない)。


1877年、アントニオは念願の工場設立を果たした。スペインではじめてグッドイヤーウェルト製法の生産体制を整えた工場はフォロワーも生み、産業として発展、最盛期には製靴業は300社を数えた。500人だった人口も3万5000人にまで膨らんだ。アントニオは後年、銅像が建てられ、通りの名にもなった。

「ロトゥセはいまはない、イギリスから仕入れた製靴機械のメーカー名からとったそうです。もともとは息子のロレンツォ・フルシャの名をつかっていたのですが、海外展開をはじめるにあたって、無国籍な響きを気に入ったようです。1932年のことでした」


四代目で現当主のファンアントニオ・フルシャはつづけて、まずはフルシャ家の歴史を振り返りましょうといって、三代目で大きく飛翔したビジネスについて語った。

「長男であるわたしの父、アントニオがロトゥセを継ぎました。そして次男のミゲルがイベロスターを、三男のロレンソがみなさんご存じのカンペールを立ち上げました。イベロスターは世界で100以上のリゾートホテルを展開する会社です」

自他ともにみとめる一族のサクセスストーリー。日本でこそ知名度はなかったが、ロトゥセもスペイン国内で17店舗を構え、ヨーロッパだけで250の取引先をもつ。中国への進出も果たし、げんざいでは40を超えるフランチャイズ店舗を展開している。


「創業者からつづくアントレプレナー精神があったからでしょう。しかしそれ以上に大きかったのは、いっけん矛盾するようですが、ラテンの国には珍しい控えめさをそなえていることです。我々の会社の社是は、CALMA(冷静)、TACTO(慎重)、PACIENCIA(忍耐)の3つ。これでもかというくらい、石橋を叩く(笑)」

マヨルカは地中海の権力者にとって要衝の地だった。侵略された歴史は数知れない。島民は耐え忍ぶことに慣れていった。そんな島民のメンタリティがもっとも色濃く現れているのが、ロトゥセである。

後篇へつづく