世界長ユニオン・矢作理之──転職先の資料室で見つけた運動靴に命を吹き込む。


一昨年、浅草の紳士靴メーカーから世界長ユニオンへ転職してきた矢作理之が最初に手掛けた仕事は、埋もれていたアーカイブを掘り起こす作業であった。数々のオリジナルブランドと海外有名ブランドの輸入販売を手がけてきた、老舗ならではの貴重な名品を紐解く日々。ある日、資料をめくる矢作の手が止まった。そこにあったのが「パンサー」だった。

矢作「当時のカタログ写真に海外ブランドとは違った雰囲気があったんです。日本っぽいスニーカーってカッコいいんじゃないか、レトロジョグとしてこれを復刻するのは面白んじゃないかと思ったんです」。


しかし当時の生産工場はすでになかったが、国内製造にはこだわりがあった。資料室にあった運動靴と当時のカルテを見比べながら、まず自社の革靴工場にて雰囲気を再現すべくパターンの作成にとりかかる。そして、紆余曲折を重ね福島県にあるスニーカー工場の門を叩いた。

矢作「普段サッカー用のスパイクも手掛けている製造工場に製造を依頼しました。最新鋭の機器を揃えて、最新技術を駆使する工場ではなく、職人の手でひとつひとつ材料を切り、縫い合わせて、接着していく、昭和と同じ製法をいまも継承する工場です。そこで、まずはサンプル作りからはじめてみました」。

矢作は一縷の望みを賭けた。やがてその思いは形となる。


完成した復刻第一弾のファーストサンプルは、社内での評判は悪くはなかったが、矢作は外部の人間の意見を聞きたいと思った。持ちこんだ先は国内では有数のスニーカーショップ、ミタスニーカーの国井栄之のもとだった。国井は海外のスポーツブランドではインラインコレクションのアドバイザーもつとめる、スニーカー界では国内屈指のクリエイティブ・ディレクターである。

しかし、ここで矢作は打ちのめされることとなる。