2019.12.12 update

Vol.13 内藤カツ | モノクロ写真から感じるハーレムの熱くスリリングな時代

伊勢丹新宿店メンズ館2階=メンズクリエーターズ内「ART UP(アートアップ)」において、ニューヨーク在住の写真家、内藤カツ氏による写真展「Once in Harlem」を12月11日(水)より開催。

’83年より単身ニューヨークに渡り、その後当時は貧民街で、世界屈指の危険地帯として知られていたハーレムに移り住み、そこに住む人々の営みを当時より撮影し続けているのだ。さらに ネペンテス ニューヨークで個展を開催するなど、ファッション業界にも縁が深い。

ここではフォトグラファーになるまでの経緯や現地での生活、さらに今回の展示についてうかがった。


内藤カツ/Katsu Naito

1964年、東京都大田区生まれ。双子座。 1983年渡米、言葉の不自由さを埋める手立てとしてカメラを手に取る。 1987年、ハーレムに居住し「ONCE IN HARLEM」の土台を築く生活を開始。 1990年ごろから、ハーレムでの撮影をスタートし、同時にNYのストリート売春夫婦の撮影もスタート。 2010年、ネペンテスNY店にて、売春婦のポートレート個展「WEST SIDE RANDEZVOUS」を開催。 2011年、80年代のNYの売春婦を撮影した「WEST SIDE RANDEZVOUS」を発刊。 2018年、NYハーレムの写真集「ONCE IN HARLEM」を発刊。

よそ者を寄せつけないハーレムで信頼を得るまで2年かかった

ーそもそもニューヨークへ行く当初の目的は、現地でキッチンシェフとして働くためだったという。

当時二ューヨークで3年間、日本食レストランのシェフをしませんかという公募があったので、エントリーして面接に行ったんです。そうしたら僕一人しかいなくて。よほど人気がなかったんでしょうね(笑)。面接が終わって翌月にはニューヨークへ渡るっていう、ものすごいスピーディーなスケジュールでした。

ー’80年代のニューヨークは、日本から来た若者には十分すぎるほど刺激的だった。

レストランの仕事は深夜12時くらいに終わって翌日はお昼から始まるので、比較的夜が自由なんです。当時18歳ですから、色んなものに触れたくて夜はクラブに入り浸るような生活だったんですよ。でも英語が全く喋れないんです。それでコミュニケーションツールとしてカメラを買ったんです。日本にいた頃も使っていたので、全くの素人というわけではありませんでした。




ーーコミュニケーションツールとして使っていたカメラだったが、ニューヨークの街にいるかっこいい人を撮りたいという気持ちが徐々に強くなり、シャッターを切る回数が増えていった。


スリフトとか安いお店で服を買ってきて、それを着せて写真を撮るということをやっていたんです。それをしているうちに写真にのめり込んで行きました。あと日本とは全く違った景色や街並みが新鮮だったので、そうやって撮りたい気持ちが生まれたのかもしれないですね。キッチンシェフも1年半でやめて、その辺から本格的に写真に没頭していきました。



ーーニューヨークという刺激の海で泳ぐうちに、内藤さんの気持ちはさらなる強い刺激を求めて加速する。


クラブシーンに飽きたといいうか、急につまらなくなっちゃったんです。それで何か新たにエキサイティングなもの欲しいなって思っていた時に、ハーレムがずっと気になっていて。でも当時のハーレムはよほど用事がないと人が行かないところで、かなりの危険地帯だったんですよ。でもすごく危ないからこそ、逆にむちゃくちゃ気になるんですよね。どうしても自分の目で見たくて行ってみたのが最初ですね。




ーー実際に訪れたハーレムの街は、一歩足を踏み入れた瞬間、周囲のエリアと全く違う空気であったことに気づいたという。そして空気に触れたことで、その魅力に一気に引き込まれた。


ハーレムは高い建物が無く、あと他の場所よりも歩道の幅が広いのでめちゃくちゃ開放感があるんです。当時は更地も廃墟も多かったですし、人口密度が圧倒的に低かったんですよ。僕はウエストサイドっていう地区に住んでいて、そこからカメラを持ってハーレムに行くんですけど、バックパックからカメラを出して写真を撮
るっていう行為ができない場所だなって感じたんです。危ないというよりも失礼にあたるなって。よそ者がカメラを持ってきて勝手に撮るっていうのは。そういう空気が当時のハーレムには漂っていました。



ーー絶対に部外者は受け入れないという冷たい空気が支配していたが、それでもどうにかして受け入れてもらおうと、内藤さんは時間をかけて溶け込んでいく。

最初は無視され続けていたのですが、引っ越した近所にハーレムのモーターサイクル好きのおじさんが集まるクラブみたいなところがあったんですね。そこに毎日のように通い朝まで飲み明かしていました。そういう場所に行くと友達になりやすいじゃないですか。そこで第一関門を突破したっていう感じで。それから徐々に範囲を拡大していきました。写真を撮るという目的があってのことなんですけど、それは全く出さずに。




世界中のどこでも、心動くままに気になる人を撮り続けていきたい

ーー移り住んで2年、ようやく自分がハーレムに受け入れられたことを感じる。


少しずつ近所で慣れていってから、カメラを持ち歩くようになったんですね。カメラは持ってはいるんですが、最初は写真は撮らないんです。で、ある程度これで大丈夫かなっていう瞬間があるんですよ、子供と仲良くなったりおじさんおばさんと仲良くなったりっていう。そういう瞬間に撮らせてくれるようになった頃くらいから、ハーレムにいて自分の場所が作れそうかなって初めて思えました。



ーーそんな世界屈指の危険地帯であったハーレムも、現在はすっかり様変わりをしているのだそう。


もうだいぶ変わってしまって、安全な場所ですね。’昔の面影は一切ないです。90年代の終わりくらいからビルが建ったりして、昔からずっと住んでいた黒人たちが出ていってしまっています。僕が写真を撮っていた頃は、いわゆる『オールドハーレム』と呼ばれている時代なんですけど、ちょうど撮り終えた頃に変わってしまって。治安が良くなったのはすごくいいことだとは思いますが、昔の方が良かったって言う人も少なくないです。現在はイーストハーレムに住んでいます。



ーー内藤さんは今回の展示ではもちろん、写真はほぼモノクロ。


モノクロだと写真をコントロールできるんです。僕はフィルムでしか撮らないんですけど、フィルムってすごい色んな種類があるんですけど自分の好きなように設定できるし現像もできるという方法を見つけて、それが唯一できるのがモノクロなんです。デジカメは仕事のときにポラ感覚で使うくらいで、それ以外は使わないです。



ーー伊勢丹での展示のオファーが来た時はどう思ったのだろうか。そして何を感じてもらいたいと思っているのだろうか。


ありがたいなって思いました。日本でプリントをお見せするのは初めてなので、すごく良い機会だなって思います。そしてただ見たものを、素直に感じてほしいですね。写真からこういう部分を見て欲しいとか、僕にはそういったものは全く無いんですよ。それは見る人が勝手に想像してくれればいいです。ただ、そのための骨組みといいますか説明みたいなことは頼まれればしますけど、僕からの意思は全くありません。見る人の自由な感性にお任せします。そこがまた写真の面白い部分だと思うんですよね。




ーー伊勢丹メンズ館のある新宿には、歌舞伎町というハーレムにも劣らない、世界屈指の歓楽街がある。


以前は興味がありました。’90年代初期頃、新宿に住んでいた時期があって、歌舞伎町とか新大久保とかをふらふらしていたんです。そして当時知り合いの人にそのエリアの裏社会に詳しい人を紹介してもらって、当時多くいた立ちんぼのポートレートを素顔で撮らせてもらえるように交渉したんです。でも最終的にヤクザの利権絡みで難しいってなって実現はしませんでしたが。もちろん今でも街には興味がありますから、惹かれる人がいたら撮らせてもらいたいです。



ーー内藤さん自身が興味を惹かれる人とは一体どんな人なのだろうか。


パッと見た瞬間に心の中で何かが動くんですよね。「撮りたい!」っていう気持ちがむくむくと湧き上がってくるといいますか。だからどんな人って言われても、その時にならないと自分でもわからないんです。ただそういう人って服装や表情に出ているんですよ、引っかかる何かが。撮りたくなると同時に、なぜここにいて、どうしてそういう服装で、いつからその髪型でとか、その人に対してすごい興味が沸くというか。だから撮りたくなるっていう感じですかね。




イベント情報
内藤カツ 個展「Once in Harlem」
  • □メンズ館2階=メンズクリエーターズ
    *伊勢丹新宿店メンズ館は、12月31日(火)は午後5時閉店とさせていただきます。


Text:Kei Osawa

Photo:TAGAWA YUTARO(CEKAI)


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  • メンズ館2階=メンズクリエーターズ
  • 03-3352-1111(大代表)