<ジョン ロブ>や<エドワード・グリーン>があればあなたのワードローブに不満はなかったんじゃないでしょうか──イタリアの富裕層のあいだでは、スーツは地元であつらえても、足元は英国靴で仕上げるスタイルが多く、エドアルドも例に漏れなかった。その質問はそんなライフスタイルを踏まえたものだった。

「英国靴に履き親しんできたわたしだからこそ、できることがあると思ったんです」

クラフツマンシップを感じさせるスキンステッチ、あるいはハンドダイ。そして九分仕立てにブラックラピド──エドアルドだからできる答え、それはクラシカルなフォルム、デザインに、イタリアのアルティジャーノ精神を掛け合わせることだった。




意図するところは、サンプルをみて、じっさいに足を入れて、いっぺんに納得できた。スキンステッチもハンドダイもベース・デザインへのリスペクトが感じられる控えめなあしらいだったし、足を滑り込ませれば履き馴染んだ靴のように吸いついてきた。主役級の俳優(=意匠)を脇においたキャスティングもグッドイヤーウェルトには望むべくもないフィット感も見事としかいいようがない。

ニューイタリアンクラシック──イギリス人が土台をつくったシューヒストリーの次の一ページを、イタリア人が拓く。エドアルドが出した答えはその可能性を十分に感じさせるものだったが、かれのモチベーションになったのはそれだけではなかった。そこにはもうひとつ、産地復興という願いがあった。


「ヴィジェバノはかつてイタリアが誇る靴の産地でした。名だたるブランドはこぞってこの地を訪れたものです。しかしそれもいまは昔。人件費の安い国が登場すると雪崩を打つようにヴィジェバノは弱体化していきました。少なからず靴の世界に足を踏み入れたわたしにとって、目の前で起こっている状況は歯がゆく、しのびなかった。じつはこの地にはじめて製靴工場をつくったのはジャルディーニ家だったのです。1898年のことでした」

エドアルドが手を組んだのはラグジュアリーブランドから梯子を外された、古き良きアルティジャーノ精神が息づくちっぽけな工房だった。


「一針一針縫い上げていく職人の筋張った手、曲がった背中を目の当たりにして、この職人仕事を残していかなければならないという思いがふつふつと湧き上がりました」

そうしてはじまったものづくりは現場のモチベーションを大いにあげている。しかしそれももっともだ。あと1ユーロ下げられないか、という商談ばかりがつづいてきたなかで、エドアルドはいいものさえつくってくれれば金に糸目はつけないというのである。

パトロン精神とは、まさにこういうことをいうのだろう。イタリアがアルティジャーノの国になったわけがよくわかった。

Photo:Keita Takahashi
Text:Kei Takegawa

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