2017.03.03 update

【インタビュー】<Stile Latino / スティレ ラティーノ>ヴィンチェンツォ・アットリーニ|サルトリア・ナポレターノの血族(1/2)


ナポリスタイルの開祖といわれるヴィンチェンツォ・アットリーニには3人の息子がいた。長男のクラウディオは独立した父のアトリエを継いだのだが2人の息子は銀行に入ってしまい跡取りがなく、とうの昔に工房を閉じている。次男のトゥーリオは父が興したロンドンハウスのマスターテーラーを勤め上げた。最も腕が立つと言われた三男チェザレは早くに職人の道を逸れ、キートンやイザイアの立ち上げに参画。やがて自身も既製服の生産に乗り出し、成功を収めていることは周知のとおりだ。

そのチェザレにも3人の息子がいる。3人とも学校を出てからはチェザレの会社へと入っている。父の元で要職にあった長男は、祖父の名を継いだヴィンチェンツォ。彼は「エリーゴ」というブランドを手掛けていたが、後に退社し自らのコレクションをローンチしている。それが「スティレ ラティーノ」だ。チェザレは職人であった父の背中を追わなかったが、ヴィンチェンツォは父と肩を並べるように我道を歩みだした。


「ええ、当時はいろいろ言われましたよ。父と確執があったのかとか、追い出されたのだろうとか。ただ私は父の下では出来ないことを自分の力でやってみたかった。そしてもっと自分の足で歩きたい、自分自身を表現したいと思っていたのです。父から多くのことを教わったことには感謝していますが、独自の道を進んだことには誇りを持っています」。

腕のいい職人として将来を嘱望されながら、「チェザレ アットリーニ」を成功させた有能な父の長男であることが、ヴィンチェンツォにとって安寧でなかったであろうことは容易に想像できる。しかし彼は決してそれを多くは語らない。ただ、取材時ナポリ仕立てについて書かれた古い本を持参したのだが、ページに載っていた父チェサレの写真を一瞥すると「ああ、この人のことはよく知ってるよ」と戯けてみせた。そのときの表情には、父としての敬愛ではなく、競合他社の経営者を見据える強い意思があった。