【インタビュー】鈴木一郎(デザイナー) |もうひとりのICHIRO(1/2)

<ヘンリープール>初の日本人カッター、鈴木一郎がメンズ館5階=メイド トゥ メジャーの5人目に加わったのは2012年の9月のことでその数カ月後、フランスのメゾンデザイナーズブランドに引き抜かれた。


鈴木はコンペ荒らしだった。

アート、デザインの分野で世界の格付け1位にランクするRCA(=ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)の授業料の半分はそれまでに稼いだ賞金で賄った。卒業の年に国をまたいだ新人デザイナーのコンペ、ITSでグランプリを受賞すると、いくつものファッションハウスから声がかかり、だれもが知るブランドに籍をおいてすでに3年が経つ。
これ以上ない華やかな経歴だが、それは鈴木の一部にすぎない。ロンドンから電車で1時間あまりのイーストボーンの語学学校での3ヵ月を経てLCF(=ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)に入学した鈴木は当初、デザインの授業はすっぽかしてひたすら縫っていた。
 
「(日本の)普通の大学に通う普通の学生だったわたしは年相応にファッションに興味をもちます。アルバイトで稼いだ金はブランドものに消えました。顧客名簿に名を連ねるほどに散財して、プライスとクオリティがかならずしも一致しないことに気づきます。素材やつくりを意識するようになり、おぼろげながらテーラーへの憧れが芽生えた」


テーラリングの世界を順調に血肉としていく鈴木は翌年の進路でイタリア研修のコースを選ぶ。ところが、「学生が集まらず中止になった」。
途方に暮れていた鈴木を導いてくれたのが、講師のアラン・キャノン・ジョーンズ。就職に必要なバチェラー・オブ・アーツの資格がもらえるからと背中を押され、デザインを教えるメンズウェアのコースへ。ここでクリエイトの面白さに開眼し、コンペに出品する日々がはじまるのだが、<ヘンリープール>に潜り込む足がかりを与えくれたのもアランだった。
 
日中はカッターとしてはたらき、仕事終わりには老練の職人のマンツーマンでテーラリングを学んで6年。構築的なショルダーライン、ウエストを絞り込むことであらわれるイングリッシュ・ドレープ。古き良き英国紳士を彷彿とさせるメイド トゥ メジャーのシルエット美は本場の空気をたっぷり吸い込んで身体の隅々にまでいきわたらせた賜物だ。RCAにはヘンリー プールに勤めながら通った。鈴木にとってはその受験も腕試しの一環だったが、せっかく受かったのだからとアトリエとカレッジをせっせと往復した。