2016.07.05 update

【インタビュー】<GEORGE CLEVERLEY> ジョージ・グラスゴー・ジュニア|また別の、クレバリー(1/2)

ビスポークの名門老舗、<ジョージ・クレバリー>が2013年にプレタポルテのプレステージ・ライン、<アンソニー・クレバリー>をローンチした。アンソニーは創業者のジョージが目の上のこぶのように接した甥っ子で、孤高の天才だ。


クレバリー家にはシューヒストリーにその名を刻んだ男がふたりいる。ひとりがジョージ、もうひとりがアンソニーだ。
チェコスロバキア出身のニコラス・トゥゼックが創業した伝説のビスポーク靴店、トゥゼック。ここに22歳の年、1920年よりおよそ40年にわたって籍をおいたのがジョージで、ニコラスが一線を退いたあとのトゥゼックはジョージとその親類が切り盛りするのだが、親類のひとりがアンソニーだった。

後世の評価を考えれば驚くほかないけれど、ジョージがみずからの看板を掲げたのは60歳だった。勝因は名門を支えた技量にくわえ、あらたなスタイルを確立したことにあった。
チゼルトウ――ノミの刃に似た直線と曲線が複雑に絡みあったトウ・シェイプは素朴なラウンドトウしかなかった時代の紳士にとってカルチャーショックそのものだった。ハンフリー・ボガート、ケーリー・グラント、フレッド・アステア…。ただちに華やかな顧客リストが作成され、リストは年々更新をつづけた。


77歳で店を閉めるも、職人人生を終わらせたわけではなかった。そうして95の歳にジョン・カネラとジョージ・グラスゴーというふたりの愛弟子にクレバリーの看板を託した。翌年にはプレタポルテを発表、現在の態勢ができあがる。
この本家筋とはべつに生きたのがアンソニーである。ジョージを追うように独立したアンソニーもまた、チゼルトウをハウススタイルとした。現当主のジョージ・グラスゴー・ジュニアはいう。
 
「おなじ環境で切磋琢磨してきたふたりは美的感覚も近しいものがあったのでしょう。けれどそれゆえ、ふたりは反目しあい、別々の道を歩んだ。最期まで関係が修復されることはありませんでした」
 
アンソニーが削りあげたチゼルトウはジョージのそれに比べてアグレッシブにアーティスティックだった。アンソニーは下肢に障害を抱えていた。美に対する執着が生んだ、境地。屋根裏を作業部屋にした孤高の天才のもとにはジョージに負けず劣らず著名な紳士が足を運んだ。