2015.11.23 update

【インタビュー】ダオイー・チョウ/マックスウェル・オズボーン(PUBLIC SCHOOL/パブリックスクール デザイナー)|ミュージシャンが発するような刺激をコレクションで表現したい


モードやスポーツ、それにヒップホップなどのユースカルチャーをミックスさせた独自のコレクションで注目を集める<パブリックスクール>。共にニューヨークで育ったデザイナー、ダオイー・チョウとマックスウェル・オズボーンの二人がブランドを牽引している。そんな彼等が今シーズン「International Woolmark Prize/インターナショナル・ウールマークプライズ(以下、IWP)」2014/15メンズウエアファイナルにて、最優秀賞を獲得するという快挙を成し遂げた。

11月1日(日)に開催された<パブリックスクール>ポップアップショップでのDJイベント。左/マックスウェル・オズボーン氏、右/ダオイー・チョウ氏

世界的なブレイクを予感させる<パブリックスクール>だが、イセタンメンズではこの「IWP」受賞に先立ち、すでに3シーズン前から彼等のコレクションをフィーチャーしてきている。去る10月は同賞でのカプセルコレクションを限定的に展開するなど、このニューヨーク発の新進ブランドへの期待は高い。同コレクションも「音を感じるプレゼンテーション」というコンセプトのもと、DJブースを導入した異例のフロアセッティングを実施。ファッションの可能性を広げるパワーと魅力を秘めた次世代ブランドとして積極的に打ちだしているのだ。今回、そのカプセルコレクションのため来日した二人のデザイナーに、ブランドスタート時のエピソードやクリエーションへの思いをうかがった。


━━━ お二人はどういう経緯からファッションの世界へ進むことになったのですか?

オズボーン:学生時代に<ショーン・ジョーン>という洋服ブランドでインターンとして働いており、そのままそこへ就職することになったんです。ダオイーとはその職場で出会い、お互いニューヨーク育ちということもあり、良く話をするようになりました。いろいろな話題で意気投合した僕等は、2008年に<パブリックスクール>をローンチすることになったんです。

ダオイー:僕はというと大学生の時にソニーミュージックでインターンをしており、その時は音楽業界を目指していたんです。しかし大学卒業のタイミングまでに就職が決まらず、そこで友達が始めたニューヨーク・イーストヴィレッジのセレクトショップで働くことになりました。しばらくしてそのショップが扱っていた<ショーン・ジョーン>から誘いがあり、そちらへ移ったことでデザイナーになる道が開けたのです。しかし音楽ときっぱり決別したワケではなく、<ショーン・ジョーン>で働きながら『VIBE』という音楽誌でもライターとして活動していました。マックスと出会ったのはそんな時でしたね。


━━━ お互いどういうところに共感し、コンビを組むことになったのでしょうか?

オズボーン:本格的なスタートは2008年ですが、その一年くらい前から<パブリックスクール>の構想は二人の間で盛り上がっていたんです。僕等の出会いは会社でしたが、どちらかというと会社外での時間に一緒に遊ぶことなどが多かったんです。同じニューヨーク出身で好きな音楽やカルチャーが似ていることもあり、話すことが非常に多かったから。

ダオイー:そう、ブランドの立ち上げ以前から僕等は良い仲間だったんです。僕の方が少し年上なのですが、見てきたものやクールだと感じるものが非常に似ていました。お互いが良いエネルギーを共有できたことから<パブリックスクール>の原動力が生まれたんだと思います。


━━━ 2008年に<パブリックスクール>がスタートしてからすでに7年。ブランドへの取り組みとして当初から変わったことと変わらないことを教えて下さい。

オズボーン:ある部分ではだいぶ変わったかもしれません。最初はクリエーションに対し凝りすぎていたことも多かったんです。例えば二型だけのジャケットに対しシルエットにすごいこだわるなど、時間をかなり費やしたりしていました。そういった、ある意味での偏りが重なり、2010〜12年の間に一旦ブランドを停止していました。そして12年の秋から<パブリックスクール>2.0としてリローンチ。作業的な意味ではすべてをニューヨーク生産にしたり、ひとつの箇所に執着しすぎることなく、フラットにこなすよう視野を広げて作業するようになりました。

━━━ どの点を通過したときにブランドとしてのブレイクスルーを感じましたか?

オズボーン:正直言ってスルーしたという実感は今もなく、まだそれを探している段階です。日々懸命にチャレンジを続けているというのが率直なところ。


ダオイー:実際にブレイクスルーやサクセスを感じるのはビジネスとしての拡大や、デザイン・品質が最高のポイントに達したときになるでしょう。まだまだそのレベルではないと思います。ただ、ブランド当初は“誰かが気に入ってくれればイイ”といった向きあい方でしたが、職人的にもう少し時間を掛ける部分やそうでない部分、物作りに関してメリハリの付け方をマスターしたような気がします。

オズボーン:適切なたとえかどうか分かりませんが、ブランドスタート時は短距離走のようなテンションでした。しかし今はフルマラソンに挑むような心境で作業しています。


━━━ 最優秀賞を受賞したIWPにおいては「失われた文明」というコンセプトで作品を出品されましたが、どのような意味を込めたコレクションだったのですか?

オズボーン:僕たちはコンテストに出るにあたり、メリノウールの良さを突き詰めて考えることから始めました。メリノウールはナイキも製品に取り入れているほどに機能性を備えた天然素材です。汗の匂いも抑えるし暖かく通気性も備えています。そこで発想したのが“メリノウールが世界に残された唯一の素材になった世界では、人類はどのようにそれを使うだろう?”ということ。つまり、冬だけでなく夏もまたメリノウールしか着用しない生活を前提にしました。カーディガンやフードアイテムなど、メリノウールの注目すべき機能性が広く伝わるようにデザインしたんです。


ダオイー:それとウール製というとモコモコの緩いシルエットのウエアを想像しがちですが、その正反対となるボディにフィットしたスマートでソリッドなデザインも美しく便利であることを知ってもらいたいと考えました。ウールに対する古い固定観念を変えようということも意識していたのです。

オズボーン:ウールはまたウォッシャブルというところも優れたポイント。デザインコンセプトのひとつが“デイリーウェア”ということもあり、洗える素材というのは見逃せない要素になっています。

━━━ <パブリックスクール>の個性として音楽との関係性が挙げられますが、どのような音楽から刺激を受けてきましたか?

ダオイー:僕等が育った世代というのはインターネットがまだ一般化していない時代。ようやくMTVがメジャーになってきた時代です。MTV以前はレコードやCDといったものしか音楽媒体がほぼ存在しておらず、そういったメディアでは、ただただ音を聞くだけしかできませんでした。しかしMTVの普及により、ミュージシャンが演奏するサウンドに加え、ファッションやパフォーマンスまで見ることができるようになりました。このメディアから受けた刺激はかなりのもので、オリジナルのサウンドを持つミュージシャンは、オリジナルのスタイルをも備えていることを知る切っ掛けになったんです。そんな独自性とパワーを備えたミュージシャンが発するような刺激を、<パブリックスクール>でも表現できたらと常に考えています。


━━━ <パブリックスクール>のコレクションには黒色のアイテムが多いように思いますが、それは音楽と関係あるのでしょうか?

オズボーン:ブラックが多いのは僕等が暮らしてきたニューヨークをイメージしてのもの。ブラックは人が溢れる街中でその存在をカムフラージュできる色だと思っています。とはいえ逆にその存在を主張することもできるパワフルなカラー。そんなオールマイティなところに魅かれてブラックを多くフィーチャーしています。

━━━ 最後に、これからチャレンジしていきたいことを教えていただけますか?

ダオイー:今よりもインターナショナルなブランドを目指して活動していきたいですね。ステータスアップのポイントはクオリティアップにある考えており、ニットアイテムに関しては専門のディベロッパーと契約しアップグレードを図る予定です。

オズボーン:そして小売店の数の拡大に加え、直営店を持つこともひとつの目標です。もっと認知度を上げていく努力をしたいですね。また、<パブリックスクール>とは別に<DKNY>のクリエイティブディレクターも担当しており、両方の活動が良いバランスになるようデザイナーとして積極的に幅を広げていこうと考えています。

Text:Hasegawa Tsuyoshi
Photo:Ozawa Tatsuya

左/ダオイー・チョウ、右/マックスウェル・オズボーン

<PUBLIC SCHOOL/パブリックスクール>

ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ちのにダオイー・チョウとマックスウェル・オズボーンが2008年に立ち上げたニューヨーク発のメンズウエアブランド。ファッションや音楽、アートを融合を表現したコレクションは、コンテンポラリーかつ洗練されたカルチャーの影響を多大に受け、新世代のアメリカを代表するデザイナーと称されています。

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