2017.10.05 update

【インタビュー】<Settefili Cashmere/セッテフィーリ・カシミヤ>ミケーレ・パリエーロ|冷静と情熱とアタリメと。(1/2)

ここ数年、新進のニットブランドが気になっていた。<セッテフィーリ・カシミヤ>だ。「フェラーラに2009年創業」という情報は漏れ伝わってきていたが、10年足らずで抜群のクオリティニットを展開している。触れてみれば品質がトップレベルにあることは明らか。新進が安易に手にできるものでない。しかもコレクションはあくまでベーシックなものが中心で、クリエイティビティよりもあくまで品質を重視していることがわかる。


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ケーブル編みのクルーネック、ハイゲージのタートルネック、ショールカラーのカーディガンetc.。オッド型のニットジレはとくに人気で、パーソナルオーダーもできる。オーダーできるということは、量産型の大規模工場ではない。ブランドの立役者は誰なのか、工場の様子や糸の流通経路についても詳細を知りたいと思っていたところに、オーナーのミケーレ・パリエーロ氏に会う機会を得た。会ってすぐ「セッテフィーリ・カシミヤは、貴方が設立した会社なのですか?」とストレートに尋ねた。

「いいえ、元々はベネッティ社というニットメーカーを私が買い取りました。1953年に創業したベネッティ社は小規模ながら、非常に優秀なニットメーカーでした。しかし販路がイタリア国内に限られていたこともあってか資金繰りがよくなくて、2000年代に入ると急激に経営面が逼迫していたようです。それまで私はいくつかのブランドのエージェントをしていたのですが、工場を買い取ることを決意しました。いま、ようやく8名の職人を復職させることができましたが、当初は資金がなくて職人を2人しか雇えませんでしたよ」。


ベネッティ社は1960〜70年代に製造されたスイス製の希少なヴィンテージの編み機を所有していた。この機械を使える職人は工場にも数名しか存在せず、彼らが仕事を失うとともに貴重な技術が失われてしまうことを案じたミケーレは弱冠40歳にして私財を投じた。エージェントとしてのビジネスは順風だったが、モノづくりは素人。しかし真正面から取り組むことで事業は成功へと導かれた。冷静な視点が求められる経営者としての手腕には確かなものがある。しかし大きな方向転換にあたり、決意と情熱が並大抵のものでないことは想像に難くない。コレクションに注ぐ愛情も深淵だ。

「毎シーズンのコレクション編成は糸からはじまります。流行やトレンドより、この糸をどのような編み地で、どのようなアイテムに仕上げるのが最良かを考えることから始めます。その次に重要なのはカラー展開です。白が純白なら赤は鮮烈な赤を用意しますが、白がオフ白ならば赤は煉瓦色となります。カラーパレットはコレクション全体でトーンを統一するので、差し色としても突飛な色が混ざることはありません」。


月産600枚と決して多くはない生産量。型数は約50モデルで、評判のよいモデルは次シーズンも継続される。尾錠付きのニットジレ「チントリーノ」は、カラーや編み地も様々にオーダーできる、このブランドの代名詞的存在となった。

「カーディガンの袖をカットした形ではなく、オッドベスト風のニットジレは非常に手間がかかるものです。他社では100枚単位で量産しないとコストが見合いませんが、セッテフィーリ・カシミヤは1枚単位で編むことができます。それは小規模であることと、ニッターの技術力があってのもの。リンキングマシンを高度に使いこなす技術を要するため、コピーすることは非常に難しいものです。昨年のメンズ館でのトランクショーも好評でした」。

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