2016.12.29 update

【インタビュー】<Bevilaqua/ベヴィラクア>アルベルト・パッチーニ|妄想する時代のニュー・ヴィンテージ(1/2)

アルベルト・パッチーニは、このインタビューの3日前、徳島の本藍染工房へ足を運んできたという。ベヴィラクアのシャツに日本伝統の藍染めを施すという伊勢丹とのコラボレーション企画に参加するためだ。


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「工房は若い職人たちが手掛けていて、彼らは化学薬品を使わずに藍の栽培から製品化、そして土に返すまでという循環型の仕事をしていました。これだけ技術が進化した現代に、昔ながらのトラディショナルなモノ作りを若い感性で行っている。とても素晴らしい仕事に出会えたことを感謝します」

日本人の独自性あるファッションスタイルに共感するという親日家のアルベルト氏だが、もともとベヴィラクアと日本は親密な関係にあったといってもいい。2009年のファーストコレクションはイタリアと日本、2カ国でのみ展開されたのだから。
ベヴィラクアを生産するジモス・イタリアは、1950年にフィレンツェで設立された軽衣料のアパレルメーカーで、現社長パトリツィオ・ベヴィラクア氏が自身の名を冠したベヴィラクアブランドのプロジェクトを始動した際、デザイナーとして招聘されたのがアルベルト氏であった。このプロジェクトでグラフィックデザインを担当したマッテオ・スキァーヴォ氏、アドバイザーとして参画したのが日本人ディレクターの中新井淳平氏だ。ともに当時はミラノの名店Eral55のスタッフであった。


「私がEral55のオーナー、エルマンノ・ラザリン氏と親しかったことから、2人にベヴィラクアのプロジェクトに参加してもらいました。当時から洗い加工を施し、ヴィンテージ感のあるアイテムを展開していますが、いまもジレ以外のアイテムはすべて洗い加工を施しています。素材によって加工の仕上がりが変わるため風合いは様々ですが、誰が着ても心地よいものを目指しています」

Eral55は、ミラノ・ポルタ・ガリバルディ駅から10分ほど、コルソコモ通りの角にあるセレクトショップだ。この場所にEral55が店を構えたのは1976年のこと。近くにはコム デ ギャルソンが運営する10Corso comoがあることを誰もが知っている。通りの名を冠したこの店が、この地区をファッションストリートとして定着させたと言ってもいいだろう。普段は車両の侵入が制限されており、週末は通り沿いのカフェが路上にテーブルを並べ、昼間からシャンパングラスを傾ける富裕層とファッション業界人で賑わうエリアである。


富裕階級の優雅な午後を過ごす通りにある、Eral55のセレクションは意外なほどに雑多だ。古着と新品が半々の品揃えで、古着はミリタリージャケットやアメリカ古着によくあるワークジャケットやネルシャツ、ブーツが並ぶ。パリッと糊付けされた襟のドレスシャツや化粧箱に入れられた高級カシミヤのセーターなどは見当たらず、製品染めされたワーク風のジャケットや、味出し加工されたデニムなども積み上げられている。
時代によってセレクトは変わってきたとは言え、ここ数年はこのスタイルで通しているのだ。洗い加工が施されたベヴィラクアと親和性が高いのもうなずけるが、この店は地元の優雅なご婦人紳士の御用達ではない。世界中からファッションの最前線にいる人達が顧客なのである。ベヴィラクアが早くに世界中に浸透した理由がここにある

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