2018.09.21 update

【インタビュー】シューメーカー 早野唯吾|歴史をつなぐひとりになりたい(1/2)

駒沢の閑静な住宅街にある、マンションの一室。それが2017年にデビューしたばかりの早野唯吾のアトリエだ。伊勢丹新宿店では、メンズ館地下1階=紳士靴のリニューアルに合わせてこの新進ビスポークシューメーカーをフィーチャーする。



「靴に目覚めるドラマチックな出会いとか、足にトラブルを抱えていたとか、そういうはっきりとしたモチベーションのようなものはありませんでした。大学を出ると、ごく自然に台東分校(靴の職業訓練校)を受検しました」

早野はデビューするなり靴専門誌『LAST』の表紙を飾った。同業者も戦々恐々としている新鋭である。それほどの男なのだからと構えて臨んだインタビューは、肩透かしを食らったように穏やかだった。

「あえていうならば、クラシックなものが好きだったかも知れません。学生時代から古着やアンティークには惹かれました」


話しているうち、早野はもうひとつの記憶を呼び覚ました。

「父母の趣味が音楽で、家には大量のレコードがありました。ジャズからロックまで。手当たり次第、聴いていましたね。母はビートルズのコンサートに行ったことがいまも自慢です。そうした環境にあったからか、古い映画もけっこう観ました。あるいは銀幕を飾った光り輝く靴が記憶に刷り込まれていたのかも知れません」

早野が大学生になったころ、世は紳士靴ブーム。深く考えることもせず、在学中は靴にまつわる資料集めに精を出した。そうして、台東分校へ進んだ。

「昔ながらの製法でつくられる。こんな小さなプロダクトにさまざまな職人の工夫が込められている。面白いなぁとのめり込んでいきました」

台東分校を卒業すると老舗の紳士靴メーカーに就職した。ビスポークシューズはまだブームと呼べるほどには広がっておらず、「よもや自分の未来にそんな道が拓けているとは思ってもみなかった」から、メーカーを選んだ。ところが、社会人生活がはじまってほどなく、ひとりのビスポークシューメーカーに出会う。


週末のみ、手伝いに顔を出すようになった早野は採寸し、木型を削り、アッパーを縫い、底付けをする──その一連のクラシカルなスタイルにたちまち魅了されて舞台を移した。

ひととおりのことをやらせてもらったが、唯一、確たる自信が得られなかったのが木型だった。しかしそれも当然だろう。木型は基本、木型業界の独占市場で、閉ざされた世界が積極的に情報を開示することはなかった。つまり体系だてて学ぶ機会がなかったのだ。

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