2016.05.26 update

【インタビュー】竹ヶ原敏之介(Foot the coacher/フットザコーチャー)|靴作りに魅せられた肩書のない男


竹ヶ原敏之介の肩書きは何か。

シューズデザイナーあるいはクリエイティブディレクターとするのは憚られる。職人とも違う。原宿のはずれに構える一軒家のショップと、自身が経営する<AUTHENTIC SHOE & Co./オーセンティック シューアンドコー>の経営者であることは間違いない。<foot the coacher/フット ザ コーチャー>と並行して手がける全5ブランドは、すべて竹ヶ原がコンセプトとコレクションの全容を把握し、年4回のプレゼンテーションを創出する。

「肩書は別にいらないですね」と竹ヶ原はいった。

靴作りに没頭した学生時代、独学で作り上げた靴ブランド「竹ヶ原敏之介」は、日本人が手掛ける本格的なクラシックシューズとして90年代に一時話題となった。しかしその後、その名は一瞬鳴りを潜める。渡英し<Tricker’s/トリッカーズ>の工房に職人として勤めていたのだ。帰国し<AUTHENTIC SHOE & Co./オーセンティック シューアンドコー>を立ち上げると次のピリオドが拓けた。内外のクリエイター、そして老舗のシューメーカーとのコラボレートも少なくない。


「これまで、そしてこれからどんな靴を作りたいのか」と尋ねると、こう断言した。

「<AUTHENTIC SHOE & Co./オーセンティック シューアンドコー>という名前に、良い靴を、本物の靴を作りたいという僕の想いを込めています。スポット的にそのときどきの気分もありますが、流行に乗るのではなく、日本人の足に相応しい靴を、自分自身の好きなテイストで作っていきたい。それだけは変えるつもりはありません」

<foot the coacher/フット ザ コーチャー>には「茶靴」がない。ときにスポット的に登場したり、コンビネーションカラーとして使われていたりすることはあっても、ベースカラーは黒と決まっている。いわゆるダークオークのブラウンカラーのシューズがコレクションに並ぶことは稀だ。ダークネイビーやグレーといった、クラシック靴には希少な色革を使ったり、蛇革の靴がコレクションに入ることはあっても、なんの変哲もない茶靴が見当たらないのだ。


「やったことはあるんです。たまたま今ないだけで。でも、やはり茶色って自分のなかには存在しないのだと思います。だから積極的にやろうと思わないし、リクエストがあっても、はいやりましょうとは軽々しく言えない。提案はするけど迎合はしたくないというのも正直な気持ちなので」

竹ヶ原は、5つのブランドを並行して手がけていると先述した。レディスのラインもあり、それぞれに特色がある。逆にいえば、すべての靴をひとつのブランドで括らず独立させているところに、彼の本心があるように思える。好きな音楽、好きなファッション、そして日本人であることのアイデンティティが滲む。

Tricker’sを履いて高校へ通った。本格的に靴作りに没頭した大学時代。誰からも教えを請わず作った靴は、木型の存在も知らず、いきなり革を切り・貼り・縫ったという。<foot the coacher/フット ザ コーチャー>の外羽根のプレーントゥ「HARDER(ハーダー)」は、ブランド草創期から今も現存するモデルだが、ラバーソールにクラシックなアッパーの組み合わせは、<John Moore/ジョン ムーア>や<Ian Read/イアン リード>を創出した90’sイーストロンドンのユースカルチャーに影響を受けた様子がみてとれる。靴が好きでパンクミュージックが好きだったあの頃は、いまも竹ヶ原のなかにある。


「デザインしていて思うのは、訴えたいものがないと創りだすパワーが生まれないということ。強い思いから生まれる圧倒的なデザインの破壊力を、しかし淡々と形にしていくという作業が、僕らしいと思っています」

タンナーと協業し革から作り、デザインよりも着用感を優先する。
ラバーソールやビブラムソールが多いが、他のラインにはまるで貴族の足元に履くようなドレスシューズを手がけたかと思えば、ジップアップ&シューレースのカントリーブーツも並ぶ。すべてを統括するクリエイションのコンセプトは「竹ヶ原敏之介」であること以外、見つからない。

靴以外のコレクションも増えている。バッグやウェア、アクセサリーの類まではいい。スケートボード、ダンベル、水筒…etc.? それらのいくつかは、先日から始まったイセタンメンズのポップアップでも紹介されるという。



「九州の木工家具職人にデッキを作成してもらったんです。ダンベルは、ずっと欲しかったんですよ。でもアレ、カッコ悪いから、そのへんの置いておくのがイヤで。木を削り出したような形で、どこにも繋ぎ跡がわからないでしょう。こっちはS’wellの水筒の表面を鏡面に磨いて、ステンレス仕様にして…」

ものづくりについて話しだすと饒舌になるが、カメラシャイでメディアには顔を出さない。生年月日、年齢も非公表だ。だから取材当日、待ち合わせ場所にひょっこり入ってきた彼が、竹ヶ原敏之介本人であることに我々は一瞬気が付かなかった。だが撮影にも協力的で話も弾む。


顔がないからこそ、人物ではなく作品が際立つ。

「グッドイヤーしかやらないとか、マッケイ靴が好きだとかっていうのは無くて、そこに作り手の想いがあるならセメント製法だっていい。ただ僕が作る以上は日本製にこだわりたい。日本人のための靴を作るなら日本国内で。それが当然のことじゃないですか」

海外生産に拠点を移すシューメーカーが増えていくこと残念でしかたないと嘆く。竹ヶ原敏之介の肩書は、おそらく「純粋なまでに靴が好きな男」だ。靴を作りを始めた20年前、あの頃の情熱のままで生きている。



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 竹ヶ原敏之介

大学時代に独学で靴製作を開始。1994年、<竹ヶ原敏之介>名義でドレスシューズのコレクションを発表。直後に渡英し、<Tricker’s/トリッカーズ>の工房で研鑽を積む。98年、帰国し<foot the coacher/フット ザ コーチャー>を設立。作品が靴の聖地、ノーザンプトンにある靴博物館「Northampton Museum and Art Gallery」に永久展示されていたり、<Tricker’s/トリッカーズ>をはじめ<George Cox/ジョージ コックス>、<GRENSON/グレンソン>など、英国シューメーカーなど国内外のデザイナー、ファクトリーとのコラボレートも多彩。
 

Text:Ikeda Yasuyuki
Photo:Ozawa Tatsuya

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