2015.11.14 update

【インタビュー】吉田克幸|刺し子復活させるのは宿命だった。それをメンズ館ですべて見せます

「物を大切にする心」から生まれた「刺し子」。日本が世界に誇るこの生地は時代を越え、世代をわたり、今も温かい魅力を放っています。吉田 克幸氏が「最後のライフワーク」と呼ぶ仕事、その「刺し子」への想いとは…。


吉田 克幸
1947年東京生まれ。長年に渡り、数々の名品と呼ばれる鞄を世に送り出す。その影響は鞄業界に留まらずアパレル業界をつねに牽引してきた。2007年、息子の吉田玲雄と<PORTER CLASSI/ポータークラシック>を設立。ブランドを代表する「KENDO」シリーズは、国内のみならず世界中にファンを持つ定番アイテムに。キャリアを通じ、一貫して「MADE IN JAPAN」を掲げる。


少年の頃から「モノ」が好きだった


小さい頃って興味のいちばんの対象がオモチャだと思うんですけど、自分はちょっと違っていたみたいで「モノ」が好きだったようです。豆腐屋のラッパとか、薬のはかりとか、すごく精巧な釣竿とかリールとか。普通の子供が興味を持たないようなモノを欲しがっていたみたいです。博物館などは今でも大好きですし、刺し子に強烈に惹かれたのもモノが好きっていう性格と無関係ではないと思います。


父親の教えと自身が抱いていた使命感

1960年代はいろんな国を旅しましたし、フリーマーケットもよくのぞきました。感受性豊かな20代、30代に世界中の文化にリアルに触れたので当時はもうイケイケで…。カバンの企画もすでに任されていたので、おそらく周囲は生意気に感じてたと思いますよ。そんな頃も父親からは「作り手を大事にしろ」、「職人さんをきちんと守れ」っていつも言われてました。自分はファッションをやってきたつもりはなく、クラシックをやっているので、孫たちの世代まで残る仕事をするっていう意識は常に持っていました。この歳になって次世代の作り手や職人と一緒に何かやれないかって考え始めていたときに出会ったのが刺し子だったんです。出会ったというより、呼ばれたって感じですね。


宿命とまで思った、衝撃的な出会い


刺し子との出会いはよく覚えています。青森の民俗資料館のようなところでしたけど、刺し子のある生活風景を映したスライドが残っていまして、それを観たときはぶん殴られたかと思うほどの衝撃でした。日本に、ここまで生きることに深く関わった技法があったのかって。飢えはどうにかしのげても、寒さってのはどうにもなりません。だから刺し子は東北の人たちにとって生きる術みたいなものです。

刺し子の復刻を最後のライフワークにしようと直感的に思いましたけど、簡単ではありませんでした。糸、生地、強度、雰囲気まで再現させるための研究には5年は費やしましたね。資金も覚束なかったんですが、でもやらなきゃいけない、刺し子を残さなきゃいけないという執念みたいなものだけはありました。もうこれは宿命でしたね。今回は復刻だけではなく、70~80年前の古生地をお湯につけて埃や汚れを取って、継ぎ当てて、できるだけ当時のままに近づけるために気の遠くなるような作業を繰り返して作った一点物のジャケットも出ます。感覚としては美術品や建造物の修復とほぼ同じですね。それらもすべては次の世代に残すという思いがあったからできたんです。


満足はしている、でもゴールではない


ようやく満足できる刺し子が復刻できたと思っていますが、自分のワガママを理解してくれて協力してくれた人たちにはとにかく感謝の言葉しかありません。よくここまでやってくれたなと。ほんとうにすごいモノができました。今回の復刻刺し子はひとつの到達点という自負はもちろんあります。でも、これでゴールとは思っていないです。自分の集大成ではありますが、この先はまだまだ続きますから。メンズ館では現時点でのすべてを見せるつもりでいますので期待してください。最後のライフワークと言ってはいますが、ここからがスタートでもあります。これからは次の世代が継いで、50年後、100年後も残ってくれればこんな嬉しいことはないですね。

お問い合わせ
03-3352-1111(大代表)