2015.10.14 update

【インタビュー】ピエール・コルテ|新進気鋭の靴職人の歩みと行き着いた世界観とは

パリにて、新進気鋭の靴職人としてその名を知らしめ、現在は既製靴から革小物までを幅広く手がけるブランドのクリエイティブ・ディテクターのピエール・コルテさん。同氏が語るその歩みと、結果行き着いた世界観とは。


ピエール・コルテ
1990年にパリのヴァンドーム広場近くのヴォルネイ通りで創業した<Corthay(コルテ)>の創始者であり、クリエイティブ・ディレクター。<JOHN LOBB/ジョン ロブ>や<Berluti/ベルルッティ>などの名門で修行を積み、独立。独特の存在感を放つ芸術性に富んだ作品の数々は世界中のファンを魅了しています。今年で25周年の節目を迎え、これまで歩んできた歴史を振り返りつつ、新たなステージへと進化し続けています。


この世界に入るきっかけは、子供の頃に、革小物に興味を持って、自分でつくってみたことです。そして革小物は本来どういう風につくるのかと調べ始めたときに、コンパニオン・ドゥ・デュボワール(フランスの職人組合による職人教育のシステム。靴職人だけでなくさまざま業種がある)の存在を知りました。1979年のことです。でも、この時は、コンパニオンに革小物を教えてくれる人はいなくて、どうしようかと思いながら靴職人の工房を訪ねて、その複雑さと奥深さに、まるで雷に打たれたような衝撃を受けました。それから靴づくりにのめり込んでいったのです。

コンパニオンで6年半過ごした後、パリでビスポークの職人として働きはじめました。1年半ほど働いた頃、ベルルッティからいままでいた職人にかわって工房で働かないかとオファーがあって、移りました。ベテランの職人と1年一緒に靴づくりをした後、ベルルッティのビスポークのチーフとして約5年働きました。

独立したのは1990年です。独立するつもりは元々あったのですが、ちょうどそのタイミングで、現在のヴォルネイ通りの店の場所にアトリエを構えていた職人さんから、リタイアするので場所を引き継がないかと誘われたのです。でも、1990年は、ビスポークで起業する人たちはあまりいなくて、タイミング的には「谷底」でした。湾岸戦争が始まって、みんなこれからどうなっていくのかと話していたことをいまでも覚えています。当然不安はありましたが、自分自身としては、この時期を乗り切ったらあとはずっと行けるだろうと思って、続けたんです。すると、1990年代の後半から2000年代にかけて、だんだんビスポークの靴に対する注目が高まってきました。


転機は1993年、ビスポークのお客様が、「セルジオ」というモデルをオーダーしたことでした。それが全てを変えました。セルジオは今でも既製靴で展開していますが、当時つくったセルジオのラストは、コルテのアイコンでもあるトウシェイプ「ベグデーグル」の原型になっています。当時の雑誌に、ジョン ロブやエドワード・グリーン、ベルルッティとともにセルジオが並んで、すごく新鮮に映りました。

ビスポークの靴店としてある程度名前が知られると、こんどはお客様や友人から既製靴はないの?と聞かれることが多くなったのです。靴がいいのはわかるけれど、ビスポークはあまりに高価だと。さすがに50人以上の人にそう言われたら、既製靴をやるべきなのかなと思いはじめました。そこで2000年に既製靴をスタートしました。

実はコンパニオンに在籍していたとき、すこしずつ靴修理をやっていました。イタリアや英国の高品質な既製靴が修理に来るたびに、いつか自分もこれをやってやろう、靴づくりのすべて、ビスポークからレディメイドまでやってやろうと当時は思っていました。


当初はイタリアなど外部のファクトリーに木型やパターンを渡して、生産していたのですが、いろいろと不都合があって、結局自分でファクトリーをつくり、全てをコントロールすることにしたのです。実は既製靴づくりに紆余曲折していた時、ゴルフクラブの会員60名にゴルフシューズをつくるという、大口のビスポークの注文が来たんです。その売り上げをベースに、ミシンなどの靴づくりの機械を買って、自分のファクトリーをつくりました。

でも、最初は大変でした。頭の中では、何をすべきかわかっているつもりでしたが、実際やってみると全く違いました。日本の直営店向けに送った最初の靴は、450足のうち200足が品質に達してないと現場のスタッフから送り返されてきました。そこから、私たちは少しずつ、時間をかけて改善し、地道に技術を向上してきました。いまは品質にも、生産数にも満足しています。

──コルテの靴の特徴やスタイルは、どういうものでしょうか。


難しい質問ですね。簡単には言い表せません。コルテの靴は、さまざまキャラクターや、さまざまなオケージョンで履いていただける靴に仕上がっていると、私自身は感じています。お客様も弁護士やバンカーといった職業の方から、アーティストまで幅広くいらっしゃいます。

それに、今日、スタイルというのは、フュージョン、さまざまな要素が混ざっているものではないでしょうか。例えば食の世界でいうなら、現在パリにはフレンチビストロがある一方でジャパニーズがあったり、実にさまざまです。私がパリで最も好きなレストランは日本人シェフのビストロですし。そんなことと同じように、皆さんコルテの靴を履かれるときには、自分のスタイルにミックスしたり、まさにフュージョンして楽しんでいらっしゃいます。現在、人々はさまざまカルチャーから、それぞれのよいところをとりこみたいというムードなんです。そして、その結果でき上がるものは、かつて見たこともないようなものではないでしょうか。

Photo:Takao Ohta
Text:Yukihiro Sugawara

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